月別アーカイブ: 2018年3月

2018年03月30日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 言葉の大切さ。

言葉には色々な不思議な 力が有ると思います。たった一言の言葉で 誰か
の命を救う事も有り、感動を与える事も有ります。また、誤って使えば
相手の心を深く傷つけたり 友人を失う事も有ります。日本語は日常の中に
そんな不思議な魅力と魔力に 満ち溢れています。
日本語の由来は 仏教から来ていることが多くつまり【仏教語】であり、
私達に、深いイメージを与えています。例えば(有難う)と言う言葉が
有ります。基は 有り難い、あり得ない の仏教語でした。読んで字の
ごとく 滅多にない事、その意味から あり得ない事を して頂いたので、
有難う と言うそうです。
私達は何万分の一の確率で生まれ、無事に生き延び、家族を養って 現在
ここにいる事は、奇跡の連続でなければ、あり得ないことで 生きている事
こそ(ありがとう)と言わなければなりません。
仏教と、日本語 素晴らしい言葉が 数多くあります。言葉の意味、本質を
時々考えるのも、心の洗濯になるかもしれません。フレンズ 小林

2018年03月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 児島高徳の忠義

家の近くの桜が満開です。私が最初に手掛けてた譲地の桜です。この季節に
なると、児島高徳の【天、勾践を 虚しゅうするなかれ 時に、范蠡
無きにしも非ず
を思い犯します。1331年元弘の乱に敗れた、後醍醐天皇は
隠岐の島に流される途中、夜陰にまみれて、高徳は 天皇を救い出そうと
しましたが 幕府の警護が固く 宿舎に近寄れませんでした。止む負えず
高徳は、近くの桜の木を削り 先の詩を書き残して、その場を去りました。
鎌倉幕府が終わり、南北朝時代に入る頃です。翌朝、警固の武士たちは
それを見ても、何の意味だか 解りませんでしたが、後醍醐天皇は、
にっこり微笑み、うなずいたそうです。
中国、呉越同舟の諺が有る通り 呉の国と、越の国は せめぎ合いを何十年
と、続けてきました。越王勾践は、呉王夫差に大敗しましたが 12年後
臥薪嘗胆のうえ、重臣范蠡と共に 大勝利をしました。その有名な事件を
天皇は知っていたので あ、范蠡の様な部下が 必ず助けに来ることを信じ
ほほ笑んだのです。この、呉と越の戦いは、【臥薪嘗胆】とか【会稽山の
恥をそそぐ】など諺が いろいろ出てきます。フレンズ 小林

2018年03月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 登竜門を乗りこえよう。

我が家の近くに、山梨学院大学のアパートが有り 学生には不釣り合いな
鯉のぼりが 吊るしてありました。友達から貰ったか、故郷のおばあさんが
送ってくれたかは、私の知る所で社有りませんが、ほほえましくなりました。
ソロソロ 十朗川にも コイが、上がってくる季節になりました。コイは、
昔から 縁起のいい生き物として 大切に扱われています。水をきれいに
したり結核になればコイの生き血を飲み、ニシキゴイは 池を彩ります。
でも、何と言っても【登竜門】でしょう。中国山西省、黄河の上流に 登龍山
を削った急流に 龍門峡と言う急流が有るそうです。産卵の為 登ってきた
コイたちはその急流は登れません。しかし、その急流を上ったコイは たちまち
龍に生まれ変わり、大空に君臨するそうです。(芥川賞は作家の登竜門)
などと諺にもなっています。故郷の親が、学生の息子に 願い
を込めて贈った
かもしれません。組合の皆様方 是非、龍となって 不動産業界に君臨して
頂きたいと思います。フレンズ  小林。

2018年03月26日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 三月は、別れと出会いの月です。

三月は卒業シーズンです。家族と同じくらいの時間をともし過ごした、お友達
と、お別れです。ホタルの光、窓の雪のメロデイーに送られて 新しい学校へ
新しい職場へ 希望を持って、旅立ちます。ホタルの光の語源は、中国、晋の
時代にさかのぼります。車胤(しゃいん)は家が貧しく 油が変えなかったの
で、蛍を集めて よる、本を読み勉強しました。孫康は、窓の月明かりや、
雪明かりで 勉強したと伝えられています。蛍雪の功などと、3月の季語にも
なって居ます。
今の時代にはとてもあっていませんが、なんと 江戸時代の学者 本居宣長が
(油がなかったら、近所でもらえばいいし 蛍は冬いないのにどうして勉強
したのだろう)などと、いちゃもんを付けたそうです。いずれにせよ、今の
学生は 暖房の利いたマンションで、スマホは当たり前、私より高級な車に
載って、颯爽と通学しています。時代の流れは恐ろしい。
フレンズ  小林。

2018年03月21日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 戦の神様、八幡太郎義家の逸話

天満宮、天神様は ご存知の通り菅原道真公をお祀りしてある神社ですが、
八幡神社は 源氏の(八幡太郎義家)と言う説が有りますが応神天皇、神宮
皇后、比売大神3社を お祀りしてある説が有力です。多分、石清水八幡神社
で元服し 源、八幡太郎義家と名乗った以後、戦の神様として、有名になった
と思います。約、1000年前、父、伊代の守頼義と共に 阿部の貞任、宗任を
平定の為鎮守府(岩手県水沢市)を出発した時が、12年も続く戦いの始まりで
した。(前9年の役)(後3年の役で終了)
阿部の貞任兄弟は、館(岩手県胆沢郡衣川村)を出て、勇敢に戦いましたが
頼義、義家は、地元の(出羽の国主)清原光頼を味方につけ、勝利しました。
その時の衣川の戦いの掛け合いで 八幡太郎義家が、撤退する貞任に【衣の
盾がほころびにけり】と言い、貞任は【年を経し、糸の乱れの苦しさに】と帰
したそうです。その掛け合いを現在では、【年を経し、糸の乱れの苦しさに
衣の盾が、綻びにけり】を 一つの和歌にしたのです。
貞任は、鎧、兜を脱ぎ、潔く切腹しようとしましたが、義家はこれを許さず
大刀を鞘に納め 全軍に引き上げを命じ、馬首をめぐらしました。
フレンズ 小林。

2018年03月20日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 昔はカメを飼いました。

先日孫が遊びに来たので、近くの十郎側へ、散歩に行きました。
土手を歩いていると、川辺りの位置の上に、カメが甲羅干しをしていました。
急に温かくなったので、冬眠から覚めたのかもしれません。石亀か、外来種
のミドリガメか解りませんが、気持ち良さそうでした。TVでお馴染みの
虫や、魚類に外来種が多くなってきています。獰猛な外来種は日本固有の
魚などを食べつくし、在来種は絶滅状態です。
カメの進化の歴史を見ますと、2億5千万まで、さかのぼります。生物の壮大
な 生き残り競争の中でカメだけは突如として、あの堅い甲羅を着て現れた
そうです。こんなに長い間、形が進化しない動植物は 類を見ないそうです。
カメ類が生き延びたのは、運動能力を捨て、生涯一生決して脱がなかった
甲羅には秘訣が有りそうです。あの甲羅は、血液の正常化、ソーラーシステム
等、あらゆる機能が備わっているそうです。小さな生き物にも涙ぐましい
歴史が隠れているようです。じっと我慢も時には必要かもしれません。
お休みに知己など、出てでも歩いて、ストレス解消もいいですね。
フレンズ  小林

2018年03月17日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) ヒシャク星が立っています。

最近、星空が綺麗で、星座が良く見えます。真北から少し東寄りに 北斗
七星が、縦に豪快に見えます。北斗七星は、星座では有りません。大熊座
の背中から尻尾にかけての一部です。北斗七星の柄の部分を延長していくと
牛飼い座のアークトウルスと言う一等星が有ります。表面温度が4600℃と
低いのでオレンジ色にか輝いています。地球から36光年と近く太陽の28倍
もあり、明るさは113倍もあるので 大きく見えるのです。
アークトウルスを、そのまま延長していくと おとめ座のスピカが有ります。
日本名(真珠星)と言われている通り 青白く輝きます。太陽の8倍の直径
が有り、質量は11倍、表面温度はなんと22000℃も有るので、距離は260
光年と 離れていますが、真珠の様に明るく輝くのです。
260光年の距離を、スペースシャトルで 飛んで行ったとすれば、959万年
懸かるそうです。宇宙の壮大さが解る様な気がします。少し暖かくなって
来たので、空を見上げてみましょう。きっと言い夢が見られます。
フレンズ  小林 

2018年03月14日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 崇高なモラルを大切に

1911年(明治44年)川崎造船所が蒸気機関車の製造に成功しました。
イギリスや、ドイツから輸入していた時代当時の鉄道院は 国産化を進め
初代社長、松方幸次郎 苦難の末、成功したそうです。爾来 日本の鉄道
車両の 牽引会社として、走ってきました。
しかしテレビなどでご存知の通り 強度が足りない新幹線の台車を、事
も有ろうに
 JRに川崎重工が納入し、現在も走り続けている事を聞いて
あきれ返ってしまいました。規定に反して 台車枠の裏を削り、設計基準
より、薄くなっているそうです。昨年(のぞみ)で破断寸前の事故を起こ
し恐ろしさに体が震えました。同様の台車をほかにも使用していると言う
ので さらに驚きました。世界に誇る日本の重工業、新幹線の技術は、
他の追随を許しません。その信頼を一挙に崩す今回の事件は 日本経済に
極めて深刻な、影響を与えました。川崎重工の経営者の皆様 崇高な
モラルを早く取り戻さなければ 後進の国々に後れを取ることは必定です。
仕事は、慣れてくると、緩慢になります。組合の皆様方、初心を忘れず
真剣に頑張ってくださう。フレンズ 小林。

2018年03月09日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 梅の花が満開です。

梅の花と言えば、真垣平九郎でしょう。江戸時代の馬術の達人、皆さんご存知
の事ともいます。寛永11年菩提寺の 芝道成寺を参拝した、三代将軍徳川家光
公は帰路、愛宕山(45m)山頂に咲く、梅の花をにつけ、(誰か、あの梅の花
を取って来る者はいないか)と近習に問いかけました。愛宕神社の拝殿までは
40度の急こう配石段は85段ある男坂、女坂は109段で少し勾配が穏やか
でした。このこう配を見ただけで 並み居る武将は顔を見合わせ、誰一人とし
て名乗り出ません。その時讃岐の城主、生駒隆俊が(我が藩の馬術指南、真垣
平九郎に申しつけ下され)と申し出ました。将軍や、居並ぶ旗本の前で失敗し
たら切腹は、ま逃れません。平九郎は覚悟を決めて、将軍に一礼すると 石段
を、一気に駆け上がりました。7合目あたりで立ち止まり センスで馬の左目
を隠し階段の下が見えない様にし 馬の首を静かにたたき駆け上がりました。
そして白梅と、紅梅を折り襟に刺し 降りようとしました。将軍は危険を感じ
女坂から下る様に合図をすると、平九郎は、早く降りろと言ったと勘違いし
そのまま男坂を降り、将軍に花を差し出したそうです。将軍は大喜びで(日本
一の馬術の名人)と褒め讃え、自分の脇差を自ら与えたそうです。
フレンズ  小林

2018年03月09日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 日本の四季

四季のある日本の自然、素晴らしいですね。私が散歩する十郎川には 三々
五々 カモたちの冬鳥が羽根を休めています。そろそろ北へ帰る準備をして
居るのでしょう。昭和43年、日本で初めて ノーベル文学賞に輝いた
川端康成が 受賞記念講演で【美しい日本の四季】と題したスピーチで
(春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり)と道元禅師
の和歌を紹介し 日本の四季の移り変わりを強調し絶賛しました。
古来から日本人はこの雄大な自然を神になぞらえて、生活の中に溶け込んで
来た様な気がします。太陽から始まり、大きな山、何千年の大木、等を
紙と崇め、尊敬し生活の一部として、共に歩んできました。外国の自然の
考え方は、人間の手ば入らず 
そのままの有るがままの姿を自然と解釈
しているようです。東洋的の解釈は、宗教的、且つ神聖な力のある自然の
考えが主流です。いずれにしても自然と共存し、いつまでも美しい自然を
残したいものです。開祖道元禅師、永平寺に行ってきました。
フレンズ 小林