月別アーカイブ: 2020年6月

2020年06月30日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 日本国民は日本語を正しく使いましょう。

またまた小池都知事が ややこしい英語を使い始めました。東京アラートで、都庁を青くしたり 赤にしたり 言葉遊びをして 顰蹙を買っています。にもかかわらず(東京ネクストユニコーン)等と 訳の解らない英語を使って、都民を脅かしているも同然です。東京アラートは 東京都の警告とか、警報で 良いではないかと思います。
日本国民に知らしめている言葉は、解りやすく 誰でも理解できる言葉でなければなりません。欧米で使用する(アラート)は 人間の肉体的行動を、緊急時に とめたり、行動させたりの、強い瞬間行動を 意味しています。つまり、(逃げろ、伏せろ、止まれ)等です。全国に発信する言葉ですので もっと慎重に お年より迄 わかる言葉で 発信してほしいものです。
コロナ災害の 後の東京都を 東京ネクストユニコーンなんで。海の海獣か、恐竜では無いですか。あの一角龍見たいの怪獣が なんで東京都 何ですか⁇
一部の本によれば、ユニコーンとは、勢いの良いI,T企業や ベンチャー企業を 指しているそうですが そんなことは一般国民には全然想像もつきません。日本の首都、世界の東京を預かる都知事 目線を少し下げて、皆さんに解りやすい言葉を 使ってほしいですね。エジプトの大学を 首席で卒業したんですから。  小林昭男

2020年06月24日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 我が家の小さな箱庭は、にぎやかです。

毎日鬱陶しいお天気が続いていますが、花たちは元気いっぱい咲いています。バラも今期二回目、我が家の小さな箱庭も いろいろな草木でバランスとってます。
武漢コロナ、やっと落ち着きを 取り戻しそうですね。日本中の皆さんが、マスク、自粛、手洗いなど一丸となって協力したおかげです。一つの目的に結束することは 強力な事が良く解りました。
お寿司屋さん、スナック、食堂、イベント、カラオケ 素晴らしい成果だと思います。一軒の家を建てるにも、土地を造成する不動産業から 設計、大工さん、基礎、左官屋さん、電気やガスの配線、瓦の屋根屋さん、インテリア 数えきれない人たちの協力で 家が建ちます。我が家の庭も 一つ一つの草花は大したものは有りませんが コブシが咲き バラが咲き くちなしが咲き アジサイが咲き キュウリやナスが仲間になって 一つの庭を構成しています。本格的な庭師に言わせると 何をたわけたことを言っているか、これが庭か)等と叱れるかもしれませんが 我が家のチョコちゃんも満足げに眺めています。今日は、トマトとニンジンを収穫しました。小林昭男

2020年06月18日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 水戸光圀公は歴史家でもあった


『この紋どころが 目に入らぬか、恐れ多くも先の副将軍 水戸光圀公に有らせられるぞ 頭が高い控えおろう』テレビや映画でお馴染みの 水戸のご老公が お生まれになったのが1628年(寛永5年)6月10日です。光圀6歳の時 兄たちが病気がちや 事情があって 三男の光圀が 水戸藩の江戸小石川邸で 頼房(家康の11男)の2代目に就きました。
18才頃まで江戸の町を 遊び歩いていましたが 有るとき【史記】(前漢の司馬遷が書いた歴史書)伯夷、叔斉伝を読み 今までの生活を一変させたそうです。
伯夷、叔斉の相続の兄弟愛、自分が三男で相続したことと、思合わせ 兄弟愛に 目覚めました。
読書や学問の尊さを知り、生涯学問に専心し 他人に思いやる心、他人を尊敬する心を養いました。
自分が感動した歴史書(史記)に習って 日本の歴史書を書こうと決意しました。
戦国時代の戦いから、平和になった日本の江戸幕府を 転覆させない為 君臣の大義を 明文化することも確立したそうです。
元禄三年(1690年)建設された、徳川光圀の別邸、西山荘で 神武天皇~後小松川天皇までの100代 二百数十年に渡る月日をかけ 壮大な大日本史の編纂を始めました。72才で亡くなってからも その後を水戸藩で引き継ぎ 完成したのが明治になってからでした。
水戸黄門様は、全国を回り 悪代官を懲らしめただけではなく 立派な歴史家でもあったようです。  小林昭男

2020年06月17日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) くちなしの花が咲き始めました。



🎵 今では指輪が回るほど 痩せてやつれたお前のうわさ)
渡哲也の歌声に聞きほれました。決して上手な歌い方では 有りませんが、低音で、寂しそうな歌い方が 好きでした。あれから四十年以上経ちますが、時々歌っています。
🎵 わがまま言っては困らせた 子供みたいな、あの日のお前
その頃、家を新築し 子供が三人、家の中を飛び回り 仕事が忙しくもなり 歌を唄っている場合ではなくなり 接待などで料亭などが多くなり カラオケなどは 休んで居ました。
十年くらい前から 重要な案件から離れ、スナックなどで お酒を飲むようになってからは 昔、はやっていた 裕次郎、小林旭、フランク永い、松尾和子等の歌を 思い出して歌っています。
毎年、六月初旬になると 純白な くちなしが、我が家の小さな庭で 必ず咲きだします。しばし、口ずさみながら 青虫を取り除き 夜の街を飛び歩いた 思い出に慕っています。
そうだ、明日は南友会だ。二次会では、ソロソロ自粛も終わった スナックに行って くちなしの歌など唄ってみるか。ボトルもそのままになって居るはずだ。 小雨が降って来たので、トマトと、三つ葉を摘んできました。今朝は、野菜サラダと、澄まし汁にしよう。  小林昭男

2020年06月12日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 日本人には日本語が良く似合う。

最近放映された武漢コロナウイルスの テレビニュースの 詳細を載せてみました。
都民の皆様の ご協力により、アウトブレイクが減少し、オーバーシュートが無く ロックダウンを解除しました。東京アラートを作成し 各店舗には、テイクアウト、デリバリーに変え 接触を防いでください。ソーシャルデスタンスも進み、オーバーショートも無くなり、パンデミックスも減少しました。モニタリング指標で、ツーステップに致します。サイトカインストームは無いと確信いたしますので ウイズコロナで頑張りましょう。
私には理解できません。もっと勉強いたします。小林昭男。
 

2020年06月10日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 後半の人生、どう生きるか。

私は、十五歳から七十五歳まで連続して働きましたが、病気などで長期的に仕事を休んだことは 有りませんでした。仕事を辞めた時も多少の老いを感じましたが 仕事が出来ない訳では有りません。永い間働き詰めで ソロソロやめるか、そんな気持ちでした。
でも最近、歳を取ったなと 感ずる時があり、愕然とする事が有ります。当然の事ながら 七十歳後半になれば 病気、老齢、死と 考える訳ですが 他人の事の様な気持ちでした。
朝の目覚め、体のあちこちの痛み、記憶力 友人先輩の死 そんなことを 朝早くから目覚める最近、チラチラと考える事が有ります。
4,5百年前は 人生五十年でした。信長が愛した(敦盛)では  (人間五十年、下天のうちに比ぶれば 夢幻の如くなり、一たび生を受け 滅せぬことのあるべきや)でした。
今では八十五歳は 当たり前の時代になりました。死は当たり前の現象です、これを覆すことは絶対にできません。それでは今からの十数余年、如何に生きるべきか、有意義に生きるべきか、楽しく生きるべきか 過去を悔やむべきか。
折角いろいろな経験を積み、荒波を超えて、生き残って来て 体力は兎も角、一番充実していると、自分に言い聞かせ 興味のある事には顔を突っ込み、今まで出来なかった事に挑戦し 感動できる幕開けだと 思ってみたりしています。後期高齢者の皆さん 永い間年金を掛けたものを 利息を付けて頂いていると思い 堂々と檜舞台を 演じようでは有りませんか。組合の方々にはまだ、後期高齢者はいませんが、気が付いた時にあたふたするよりも、今のうちから、認識することは良い事だと思います。
小林昭男。