月別アーカイブ: 2021年12月

2021年12月31日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 諸行無常、時は刻一刻と過ぎていきます。

令和3・12・28日 今迄聞いたことのないウイルスに 世界中が右往左往した一年が後3日で終わります。(諸行無常)の言葉通り、朝の散歩をしていて、お日様が出るのを見ていると、地球は生きている、少しずつ動いているのが よくわかります。東南の山の稜線が、だんだん金色に輝き あっという間に 日の出です。そして、みるみる回りが赤く染まってくるのです。
メタセコイヤは すっかり葉を落とし、つい最近まで、緑、赤、黄色とカラフルだった、散歩道も すっかり冬景色になりました。中でも、校舎南側にあった樹齢百年はたった、ヒマラヤスギの大木が枯れ 無残な木目を さらしています。山梨学院大学の生い立ちから、箱根駅伝で活躍した生徒の喜び、学校創設者 髭の古屋学長の演説も、聞いていたと思います。十朗川の草木も、ケヤキも、シラカシも、カツラの大木も 静かに眠りに入ります。
でも、耳を澄ますと ヤマガラや、シジュウカラの声が聞こえ シベリヤ方面から 渡ってきたと思われる、カモたちの羽音も かすかに聞こえます。一番寒い、日の出前の寒さが 通り過ぎ、師走の忙しい朝が始まりました。でも、来年は80歳になる私の肌には、この寒さは充分堪えます。小林昭男
 

2021年12月24日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) ペチカは、部屋中が温まります。

令和3・12・23日  今年もコロナ、コロナで暮れそうです。こんな悪い事件ばかり起きる年は 早く終わってほしいものです。冬至も終わって寒さも一段と厳しくなりました。北陸や北海道の、猛吹雪を見るたびに、その地方の苦労が覗えます。
♬♬ 雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよお話居まし
   しょ 昔むかしよ 燃えろよペチカ
皆様ご存じのこの歌は 北原白秋作詞、山田幸作作曲の唱歌です。1924年発行の(満州唱歌集)収録されました。
♬♬ 雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ表は寒い
   くりやくりやと 呼びますペチカ ♬♬
ペチカは、北欧うから、ロシア経由で 満州、北海道と渡ってきたそうです。満州への移民が増えた時代 南満州教育会から依頼を受け白秋、耕作が わざわざ現地に赴いて、制作したそうです。
♬♬ 雪の降る夜は楽しいペチカ ペチカ燃えろよじき春来ます
   いまに柳も 燃えますペチカ ♬♬
歌詞の中の(くりや、くりや)は 満州名物、焼き栗屋の声の事だそうです 
こんなに寒くなりますと、ペチカ、暖炉、ストーブが 恋しくなります。特に思い出深いのは、小学校のダルマストーブです。周りに弁当等箱を並べ 早く温まる場所の取りっこをしたものでした。じゃんけんで、薪をくべる順番を決めたりもしました。
  小林昭男
 

2021年12月22日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 精進料理

令和31220日  早いもので、そろそろ冬至、日の入りは既に遅くなり始めました。寒さが厳しくなって来ていますが 忘年会で繁華街はにぎわっています。コロナ株に振り回されていた反動で ご馳走を次々に食べつくしていますが、胃袋が疲れてきたので、精進料理が恋しくなります。

でも、精進料理は単に、菜食料理だけではありません。精進は、お釈迦様の六つの教え(六波羅蜜)の中にあるように 不浄を避け、身を清め、一生懸命仕事をする事 と有るように 人間本来の本能を、美食を、避け、菜食料理に甘んずることです。

ですから、贅沢三昧で弱った体を 休める訳では決してないわけです。2000年以上昔の教えが、今、役立っているわけですが、本来の意味をわきまえて、飲食したいと思います。日本では70%もの食料を輸入に頼っています。又、年間600万トンもの残飯が捨てられているようです。暴飲、暴食を避け 健全な体つくりをしたいものです。そして、今年の嫌なことを水に流し、素晴しい新年を迎えましょう。

小林昭男

 

2021年12月12日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) サザエさんちの お歳暮

令和31212日  12月も半ばになり、お歳暮の季節がやってきました。仕事を卒業してからは、お歳暮のやり取りも激減しましたが。

サザエさんの磯野家では お歳暮やお中元に 確固たる伝統があります。其れは、使いまわしの習慣です。戦後の日本の貧しい時代の 庶民の知恵とでも 言うんでしょうね。

いただいたお歳暮の、包装紙はがしから 始まります。

磯野家では お歳暮をデパートから調達しません。戴いた品物を、他家に分配するのです。ですから、いただいた物品は、次の日には他家に 行っていることが殆んどです。サザエや、波平がお歳暮を届けるとき、玄関先で風呂敷包も開くと、お中元の、のしが貼ってあることが 書いてあります。(796P,41巻、18P)マスオに至っては 中身の饅頭のアンコの色まで、当てています(60巻の53P

でも、若い世代になると 内容が少し変わり、サザエは、お歳暮の代わりに、牛乳を一か月分やろうかとか カツオは 波平の誕生日に 波平が、いつも行くおでん屋に行くと (お代は坊ちゃまにいただいています)と言われ、涙ぐむシーンもあります。(66巻の73P

時代に即応して、磯野家の贈り物も 変わっていくのでしょうね。でも、皆さん、年を取らないのが不思議です(笑)   小林昭男

2021年12月02日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 長男の喪中はがきを書いてます。

120枚ほどの喪中のハガキを書き終わりました。今年一月に亡くなった長男の喪中ハガキです。
大学を卒業後 独学で、司法書士の試験に挑戦し 35歳で取得、40歳で 司法書士事務所を立ち上げ、やっと軌道に乗った51歳で 天国に召されました。生真面目で、コツコツタイプ バチが当たるようなタイプでは ないと思っていました。
私も、中学卒業後、家の事情で夜間の高校に、22歳で不動産業の免許を取得 30歳で会社を設立しました。3人の子供も それぞれ大学を卒業し、家を持つようになりました。決してバチが、当たるような事は していないと自負していました。
ところが、突然の長男の死亡 今からだという矢先の 不幸でした。私は、親から、真面目に行動すれば、幸せになり、怠けて生活すれば、バチが当たって 不幸な運命を背負うと 教えられました。でも、そんな話は根底から崩れ去り、現在社会は 運命によって左右されると 近頃は思うこともありますが、毎月の月命日、お彼岸、お盆さんには長女も、次男も欠かさずお参り来ています。神奈川で生活した長男が 帰ってきたようで、何やら にぎやかに なったよう気がします。
喪中はがきを書きながら、5人家族でガヤガヤした時を思い浮かべ40年前を 懐かしく思っています。寒さがますます厳しくなります。お友達の皆さま ご自愛を。
                          小林昭男
1人、立っているの画像のようです
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12村田豊樹、鈴木泰江、他10人
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