2018年04月15日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 高遠城址に行ってきました。

12,13日一泊で高遠のさくらを見に行ってきました。長野県伊那市高遠城は
戦国時代甲斐、武田氏が治めていました。
1582年織田軍(信長、長男信忠)
の攻撃により落城しました。城主、仁科五郎守信(信玄の五男)は、悲壮な
最後を遂げました。城内にいた信玄の娘(お松の方)は、なんと 攻め落
とした 信忠の元婚約者で下。政略結婚で 終始していた戦国時代の、
犠牲者の一人だったかもしれません。
次の日は、中央道をまたいで伊那峡の奈良井宿の街並みを散策し、木曽義仲
館を、拝観しました。源氏の血を引く武将ですが、同族の争いに敗れ2才
の時、畠山重能と木曽に逃げ延びました。12才で元服し、木曽次郎源義仲
と名乗り 倶利伽羅峠の逆落としなど、数々の勝利をおさめ 源氏では初
めて京都に入り、その功績により 征夷大将軍に任命されましたが、後白河
法皇の謀略により 味方の源頼朝に 攻められ自害しました。31才の儚い
生涯でした。夫人の巴御前は、北条政子、淀君と並ぶ、豪傑女性で有名
です。フレンズ  小林

2018年04月07日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) ハチ公の慰霊会を行っています。

我が家の犬は甲斐犬ですが、仁和に愛想が良くて困ります。今日は忠犬ハチ公
の記念日です。1984年、秋田犬維持会が慰霊日を定めました。大正12年
11月大館市で生まれた。その頃、東京帝国大学の上野博士が、純血の日本
犬を探していました。それを聞いた教え子が博士に伝え生後50日から上野
先生が飼い始めました。食事から、お風呂に入るまで可愛がり、ハチ公と
なずけられました。ハチ公は立派な秋田犬に成長し 博士の送り迎えは勿論
深い絆で結ばれて行きました。
しかし上野書かせは、教授会で突然倒れ亡くなり お通夜、葬式からハチ公
は食事をとらず、激やせしたそうです。博士の没後、浅草に引っ越しました
が8Kmもある渋谷の駅に毎日通い上野博士の帰りを 駅前で待っていた
そうです。ハチ公を心配した家族が、親しい植木職人に預けましたが、綱を
切って渋谷駅の改札口に座っていたそうです。暑い日も、風の日も、雪の
日も必ず同じ時間に来て 改札口を、ずって見ながら 座っていたそうです。
こんなハチ公を見て、多くの通行人が同情し、駅の職員までが、面倒を
見ていました。しかしハチ公は、3月5日にヒラリアで、病状が一変し3日後
に亡くなりました。故郷の大館市でも、渋谷でも、ハチ公はみんなを見て
いますが 上野博士と一緒に青山墓地で、静かに眠っているそうです。
フレンズ  小林

2018年04月04日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) ユーモアのある生活を

ユーモアと悪意のある冗談は違います。アメリカの喜劇俳優ボブホープが
全盛時代の時、カルフォルニアのホテルに泊まり、帰省しテレビ番組で
(今度止まったホテルは部屋が狭く ネズミがこごんで歩いていた)と言い
ました。それを聞いたホテルのオーナーは 烈火のごとく怒り、名誉棄損で
訴えました。それを知ったボブホープは 新聞に誤りの広告をを出し(誠に
失礼な事を申しました。ネズミは背伸びをして、堂々と歩いていました。
と言い、どんな処分でも受けます)と謝りました。
それを見たホテルのオーナーは、航空機でボブホープに会いに行き、名誉
棄損で訴えたことを深く謝り、ユーモアの大切さを知り、刎頸の友と
なったそうです。ボブホープの名言を二つ書きます。
(1)私は、笑うことの強さを知っている。涙を、忍耐にだって、希望に
だって、返られるからだ。
(2)20才くらいの時: 自分が他人にどう思われているか、心配だ。
40才くらいの時:自分が他人にどう思われても、いいや。
60才くらいの時:他人は自分の事なんか、何も思っていない。
だそうです。エープリルフール、組合の皆さん、どんなユーモアが言えま
したか。 フレンズ 小林

2018年04月01日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 登竜門を駆け上がろう。

3月30日(金曜日)盛大なる送別会を私の為に開催してうぃただき
誠に有難うございました。心より感謝いたしております。さて、

私の家の近くをながれる十郎側に 今年もコイが昇ってきました。
コイは昔から縁起のいい魚として 大切に扱われてきました。洗い物をした
水をきれいに浄化してくれ、肺結核になれば、コイの生き血を飲み
にしき
コイは、庭の池を、華やかにしてくれます。でも、やっぱり【登竜門】で
しょう。中国山西省、黄河の上流に 登龍山を削った急流に 龍門峡と言う
急流が 有るそうです。産卵のため、川を上ってきたコイたちには、その
急流は上れません。しかし、もし その急流を上ったコイは、たちまち龍
に生まれ変わり、風を呼び 、雲を呼び 大空高く舞い上がり、君臨するの
だそうです。(芥川賞は、作家の登竜門)などと言う 諺にもなって居ます。
組合の若い会員諸君 登竜門を超え、是非 山梨県、否不動産業界の、リー
ダーとして、君臨していただきたいと思います。
フレンズ  小林。  左、龍門峡 右、空に舞い上がった龍

2018年03月30日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 言葉の大切さ。

言葉には色々な不思議な 力が有ると思います。たった一言の言葉で 誰か
の命を救う事も有り、感動を与える事も有ります。また、誤って使えば
相手の心を深く傷つけたり 友人を失う事も有ります。日本語は日常の中に
そんな不思議な魅力と魔力に 満ち溢れています。
日本語の由来は 仏教から来ていることが多くつまり【仏教語】であり、
私達に、深いイメージを与えています。例えば(有難う)と言う言葉が
有ります。基は 有り難い、あり得ない の仏教語でした。読んで字の
ごとく 滅多にない事、その意味から あり得ない事を して頂いたので、
有難う と言うそうです。
私達は何万分の一の確率で生まれ、無事に生き延び、家族を養って 現在
ここにいる事は、奇跡の連続でなければ、あり得ないことで 生きている事
こそ(ありがとう)と言わなければなりません。
仏教と、日本語 素晴らしい言葉が 数多くあります。言葉の意味、本質を
時々考えるのも、心の洗濯になるかもしれません。フレンズ 小林

2018年03月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 児島高徳の忠義

家の近くの桜が満開です。私が最初に手掛けてた譲地の桜です。この季節に
なると、児島高徳の【天、勾践を 虚しゅうするなかれ 時に、范蠡
無きにしも非ず
を思い犯します。1331年元弘の乱に敗れた、後醍醐天皇は
隠岐の島に流される途中、夜陰にまみれて、高徳は 天皇を救い出そうと
しましたが 幕府の警護が固く 宿舎に近寄れませんでした。止む負えず
高徳は、近くの桜の木を削り 先の詩を書き残して、その場を去りました。
鎌倉幕府が終わり、南北朝時代に入る頃です。翌朝、警固の武士たちは
それを見ても、何の意味だか 解りませんでしたが、後醍醐天皇は、
にっこり微笑み、うなずいたそうです。
中国、呉越同舟の諺が有る通り 呉の国と、越の国は せめぎ合いを何十年
と、続けてきました。越王勾践は、呉王夫差に大敗しましたが 12年後
臥薪嘗胆のうえ、重臣范蠡と共に 大勝利をしました。その有名な事件を
天皇は知っていたので あ、范蠡の様な部下が 必ず助けに来ることを信じ
ほほ笑んだのです。この、呉と越の戦いは、【臥薪嘗胆】とか【会稽山の
恥をそそぐ】など諺が いろいろ出てきます。フレンズ 小林

2018年03月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 登竜門を乗りこえよう。

我が家の近くに、山梨学院大学のアパートが有り 学生には不釣り合いな
鯉のぼりが 吊るしてありました。友達から貰ったか、故郷のおばあさんが
送ってくれたかは、私の知る所で社有りませんが、ほほえましくなりました。
ソロソロ 十朗川にも コイが、上がってくる季節になりました。コイは、
昔から 縁起のいい生き物として 大切に扱われています。水をきれいに
したり結核になればコイの生き血を飲み、ニシキゴイは 池を彩ります。
でも、何と言っても【登竜門】でしょう。中国山西省、黄河の上流に 登龍山
を削った急流に 龍門峡と言う急流が有るそうです。産卵の為 登ってきた
コイたちはその急流は登れません。しかし、その急流を上ったコイは たちまち
龍に生まれ変わり、大空に君臨するそうです。(芥川賞は作家の登竜門)
などと諺にもなっています。故郷の親が、学生の息子に 願い
を込めて贈った
かもしれません。組合の皆様方 是非、龍となって 不動産業界に君臨して
頂きたいと思います。フレンズ  小林。

2018年03月26日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 三月は、別れと出会いの月です。

三月は卒業シーズンです。家族と同じくらいの時間をともし過ごした、お友達
と、お別れです。ホタルの光、窓の雪のメロデイーに送られて 新しい学校へ
新しい職場へ 希望を持って、旅立ちます。ホタルの光の語源は、中国、晋の
時代にさかのぼります。車胤(しゃいん)は家が貧しく 油が変えなかったの
で、蛍を集めて よる、本を読み勉強しました。孫康は、窓の月明かりや、
雪明かりで 勉強したと伝えられています。蛍雪の功などと、3月の季語にも
なって居ます。
今の時代にはとてもあっていませんが、なんと 江戸時代の学者 本居宣長が
(油がなかったら、近所でもらえばいいし 蛍は冬いないのにどうして勉強
したのだろう)などと、いちゃもんを付けたそうです。いずれにせよ、今の
学生は 暖房の利いたマンションで、スマホは当たり前、私より高級な車に
載って、颯爽と通学しています。時代の流れは恐ろしい。
フレンズ  小林。

2018年03月21日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 戦の神様、八幡太郎義家の逸話

天満宮、天神様は ご存知の通り菅原道真公をお祀りしてある神社ですが、
八幡神社は 源氏の(八幡太郎義家)と言う説が有りますが応神天皇、神宮
皇后、比売大神3社を お祀りしてある説が有力です。多分、石清水八幡神社
で元服し 源、八幡太郎義家と名乗った以後、戦の神様として、有名になった
と思います。約、1000年前、父、伊代の守頼義と共に 阿部の貞任、宗任を
平定の為鎮守府(岩手県水沢市)を出発した時が、12年も続く戦いの始まりで
した。(前9年の役)(後3年の役で終了)
阿部の貞任兄弟は、館(岩手県胆沢郡衣川村)を出て、勇敢に戦いましたが
頼義、義家は、地元の(出羽の国主)清原光頼を味方につけ、勝利しました。
その時の衣川の戦いの掛け合いで 八幡太郎義家が、撤退する貞任に【衣の
盾がほころびにけり】と言い、貞任は【年を経し、糸の乱れの苦しさに】と帰
したそうです。その掛け合いを現在では、【年を経し、糸の乱れの苦しさに
衣の盾が、綻びにけり】を 一つの和歌にしたのです。
貞任は、鎧、兜を脱ぎ、潔く切腹しようとしましたが、義家はこれを許さず
大刀を鞘に納め 全軍に引き上げを命じ、馬首をめぐらしました。
フレンズ 小林。

2018年03月20日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 昔はカメを飼いました。

先日孫が遊びに来たので、近くの十郎側へ、散歩に行きました。
土手を歩いていると、川辺りの位置の上に、カメが甲羅干しをしていました。
急に温かくなったので、冬眠から覚めたのかもしれません。石亀か、外来種
のミドリガメか解りませんが、気持ち良さそうでした。TVでお馴染みの
虫や、魚類に外来種が多くなってきています。獰猛な外来種は日本固有の
魚などを食べつくし、在来種は絶滅状態です。
カメの進化の歴史を見ますと、2億5千万まで、さかのぼります。生物の壮大
な 生き残り競争の中でカメだけは突如として、あの堅い甲羅を着て現れた
そうです。こんなに長い間、形が進化しない動植物は 類を見ないそうです。
カメ類が生き延びたのは、運動能力を捨て、生涯一生決して脱がなかった
甲羅には秘訣が有りそうです。あの甲羅は、血液の正常化、ソーラーシステム
等、あらゆる機能が備わっているそうです。小さな生き物にも涙ぐましい
歴史が隠れているようです。じっと我慢も時には必要かもしれません。
お休みに知己など、出てでも歩いて、ストレス解消もいいですね。
フレンズ  小林