2018年04月27日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 会津若松城(鶴ヶ城)

日本の建築の粋を極めた、お城を見るのが好きです。1384年芦名直盛が、館を
築いたのが 始まりです。のちに(1592年)蒲生氏郷が入城し、七層の大
天守閣、櫓、多門、馬出、など複雑に組み合わせた 大天守閣を作りました。
蒲生氏郷の生まれ故郷、滋賀県蒲生市日の町の氏神様(若松の杜)から会津
若松城と、名付けたと言われています。戦国時代にふさわしく、城主がたび
たび変わりました。芦名氏~伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀幸、加藤
嘉明、保科正之(徳川秀忠の子供)で、明治まで 徳川幕府の東北出張所とし
て、大きな役割を果たしました。
城主、上杉景勝の時 徳川家康に 謀反のうわさを掛けられ、会津征伐の軍を
起こされ、取って返して 関ヶ原の合戦に及んだことは、有名です。景勝は
西軍の石田三成に付き敗れ、米沢城に入封されました。
1868年官軍がこの城を攻めた時 白虎隊の少年兵が、全員自殺したことも、
歴史に深く刻まれています。落城後、取り壊され荒れ城となりましたが、のち、
土井晩翠が『荒城の月』を作詞した時 国王の仙台城と、会津若松城をモデル
にしたそうです。 フレンズ 小林