2018年03月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 児島高徳の忠義

家の近くの桜が満開です。私が最初に手掛けてた譲地の桜です。この季節に
なると、児島高徳の【天、勾践を 虚しゅうするなかれ 時に、范蠡
無きにしも非ず
を思い犯します。1331年元弘の乱に敗れた、後醍醐天皇は
隠岐の島に流される途中、夜陰にまみれて、高徳は 天皇を救い出そうと
しましたが 幕府の警護が固く 宿舎に近寄れませんでした。止む負えず
高徳は、近くの桜の木を削り 先の詩を書き残して、その場を去りました。
鎌倉幕府が終わり、南北朝時代に入る頃です。翌朝、警固の武士たちは
それを見ても、何の意味だか 解りませんでしたが、後醍醐天皇は、
にっこり微笑み、うなずいたそうです。
中国、呉越同舟の諺が有る通り 呉の国と、越の国は せめぎ合いを何十年
と、続けてきました。越王勾践は、呉王夫差に大敗しましたが 12年後
臥薪嘗胆のうえ、重臣范蠡と共に 大勝利をしました。その有名な事件を
天皇は知っていたので あ、范蠡の様な部下が 必ず助けに来ることを信じ
ほほ笑んだのです。この、呉と越の戦いは、【臥薪嘗胆】とか【会稽山の
恥をそそぐ】など諺が いろいろ出てきます。フレンズ 小林