2014年10月25日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 甲州のために頑張った偉人二人

img_0[1]270px-Tokushima-Segi_irrigation_waterway_in_Yamanashi_prefectur[1]

 

皆様ご存知の徳島セギを造った 徳島兵左衛門俊正 忘れてはならない一人
でしょう。身延山に参拝した帰り 現在の白根町周辺を見て 広大な土地が
荒地になっている事に驚き 干拓事業を起こしました。(徳島セギ写真右側)
1664年 韮崎市円野から 白根町曲輪田まで 約17Kmの通水に成功しました。
この事業により 韮崎~六科~八田~西野~飯野~櫛形町まで 広大な土地が
すばらしい農地に生まれ変わりました。時の甲州城代戸田周防の守は 徳島俊正
の功を賞し 徳島セギ と命名したそうです。
もう一人は 塩山市牛奥出身の 雨宮敬次郎でしょう。(写真左側の人)
横浜で生糸相場で儲け 山梨、長野、埼玉などで 絹貿易で成功しました。その後
イタリヤ、などヨーロッパを遊学,帰国後これからの産業は 鉄道を中心に発展
すると考え 関東中心に 鉄道網を作り ほとんどの鉄道の整備を成しと遂げまし
中央線から江ノ電まで数え切れません。
勇み足で 自分が生まれた塩山駅を ルートをはずして造ったことは有名です。