2018年05月30日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 北方領土探検測量間宮林蔵の業績

日本固有の領土、北方領土が なかなか帰って来ません。ロシアでも あそこへ軍事基地でも作られては 困るので返さないのでしょう。1779年政府の要請で 国後島に派遣され 樺太の地図を作製した【間宮林蔵】を忘れてはなりません。先に派遣されていた、伊能忠敬に 測量技術を学び 1803年、西蝦夷地(オホーツク海岸)を測量し ウルップ島までの 地図を作成しました。その後ロシア軍と、諍いが起き 中断されましたが
1808年政府の命令により 松田伝十郎と共に アイヌの従者を伴い カラフト探査を行い カラフトが島であることを発見しました。島の西北端に(大日本国国境)の標識を立て、宗谷岬に帰郷したそうです。対岸の、黒竜江(アムール川)の役場まで行った、記録も残っているそうです。ロシア帝国が 極東地域を支配していないことも確認し 帰国後、カラフトの地図も作成したそうです。
間宮林蔵が、カラフトが 島であることを発見した人物と認められ シーボルトは後に作成した日本地図に、間宮ノセトと命名し、海峡はタタール海峡としました。江戸に帰ってからも伊能邸で、測量技術を学び、各地の地図の作成に貢献したそうです。日本では230年も前から、北方四島、サハリン(カラフト)まで調査し、国境線を決め、地図まで作成したのです。
フレンズ小林