2019年05月30日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 北条時頼と佐野源左衛門常世

鎌倉時代の名君、北条時頼は1227年5月に誕生、幼少のころから聡明で、兄弟の中でも抜群だったそうです。19才で鎌倉幕府の執権になり 幕府に逆らった 三浦泰村一族、千葉秀胤一族を、上総に国で滅ぼし 幕府を強固にまとめました。
1256年、執権を辞し 諸国を回ったと伝えられています。
皆様ご存知の (鉢の木)も その時の出来事でした。     上野の国、佐野庄で大雪にあい、一軒のあばら家に 宿を頼みました。主人とその妻は、素姓も知れない お坊さんを温かく迎え 温かい雑炊を振る舞い、囲炉裏を囲み 話に花が咲きました。夜半には薪も亡くなると、主人は客人の為に、大切に育てていた 松、梅、桜の盆栽を燃やし、自分は、元、この佐野庄の名主だったが、親族に騙され、こんな生活をしているが『鎌倉にことあるときは、はせ参じる』旨を話しました。その人は、佐野源左衛門常世でした。
しばらくして、鎌倉から諸国に動員令が出され、常世もやせ馬に 古い甲冑を付けて(いざ、鎌倉)とはせ参じました。
みすぼらしい姿に あざ笑いされる中、役人から呼び出され、恐る恐る進み出ると、そこには あの大雪の坊さんの顔が有りました。その人こそ、前の執権 北条時頼だったのです。
時頼は一宿一飯の恩義を述べ あの夜の約束通り はせ参じたことを褒め 佐野庄安堵燃やした盆栽に因んで、上野の国松井田庄 越後の国桜井荘 加賀の国梅田庄を 常世に与えました。他人には親切にし、約束は守りましょう。右中:時頼のお墓、明月院 右:常世の墓、願
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