2019年01月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 受験シーズンになりました。


東風吹かば、匂い起こせよ梅の花、主なしとて、春な忘れそ。)

901年、菅原道真(天神様、菅公)が、政敵、藤原時平の讒言によって、左遷され 大宰府(福岡県太宰府市)に下るときに、 長年大切にしていた 梅の花に 別れを惜しんで 言った詩だと 伝えられています。旧暦二月一日 梅が芳香を放ってい 咲いているのを見て、来年も東風に乗って、その香りを 大宰府まで、忘れずに 届けておくれ)と言って、僅かな人数で 下りて行ったそうです。優秀な政治家で、宇多天皇に重用され、右大臣にまで出世しましたが 藤原家の妬みと派閥争いや、天皇家(宇田天皇から、醍醐天皇に変わった後、左大臣、藤原時平らの 計略にはまり失脚しました。
菅原道真が 大宰府に赴任した死後 京都に天災地変が起こったいます。
飢饉や干ばつで、多数の住民が餓死し、906年 時平と共謀した 藤原定国が40才の若さで亡くなりました。
908年 道真生前 宇多上皇が、醍醐天皇に面会し、道真を呼び戻そうとしたとき、面会を断った、藤原菅根(すがね)が 雷に打たれて即死、909年 最大の政敵、藤原時保らが39才の若さで病死いたのです。
これらは【菅公殿のたたりだ】と人々は 恐れ、慄いたそうです。
その後朝廷も、道真の偉大な功績を讃え 神様として末永く お祀りをしました。今でも、受験生は、天神様や、天満宮に 合格祈願に行っています。
上:菅原天満宮:左天満宮の紋章:中大宰府天満宮:百人一首(このたびは幣もとりあえず手向山、もみじの錦、神のまにまに(道真)  小林昭男
左から:菅原天満宮:天満宮に紋章:大宰府天満宮:百人一首菅原道真公