2019年09月05日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 島崎藤村の、若菜集 初恋です。

まだ上げ初(そ)めし前髪の 林檎のもとに見えし時 前にさしたる 花櫛の 花ある君と 思いけり』
島崎藤村は、岐阜県馬籠村(現、中津川市)の代々庄屋を務める旧家に生まれ、父は国学者でした。明治大学院を卒業後、明治諸学校の教師になり 島村透谷らと、雑誌(文學界)に  詩や随筆を 投稿していました。明治三十年(25才)の時  若菜集を発表 浪漫的な 新詩集として、脚光を浴びました。
その詩集の中の 初恋 の一節です。学生時代に、暗記させられた 文章ですよね。
『優しく、白き手を伸べて 林檎を我に 与えしは 薄紅(くれない)の秋の実に 人こい初めし はじめなり』
しかし 小諸義塾の教師として 小諸に,赴任したころから 長編小説(破壊)などを発表し 自然主義文学の分野に 進出し 絶賛されました。
『リンゴ畑の樹の下に おのずからなる細道は 誰(た)が ふみそめし かたみぞと 問いたまふこそ こいしけれ』
小説は あまり多く書いていませんが 我が家の 没落をかいた(家) 江戸末期から、明治に入いれ、時代についていけない島崎家をかいた(夜明け前) 自分と,姪の許されない関係を書いた(新生) 晩年には 日本ペンクラブ初代会長になるなど 日本文学に貢献し (1943年)昭和18年8月22日 70才で大磯の自宅で 亡くなりました。亡くなる時の最後の言葉が(涼しい風だね)と言ったそうです。如何にも、文学者の 最後の言葉の様ですね。小林昭男