2018年09月04日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 幻の名城 安土城


戦国時代の真っただ中1576年、織田信長は 琵琶湖の東岸に 安土城を築きました。この地は 東山道、北陸道、東海道など、関東地方と関西に 通ずる交通の要所で、日本の中心点でも あったからです。信長は、ここを本城にして 天下統一を図りました。

丹羽長秀を 普請奉行に、石積は、あの有名な石積の名人 坂本村の穴太(あのう)一族に 命じました。建物は、熱田神宮の宮大工 岡部又右エ門を棟梁に 天下の名工を集め 1579年に完成させました。居城の、岐阜城(稲葉山城)を長男、信忠に譲り 安土城に移り、天布武を 成し遂げました。しかし皆様ご存知の 1582年本能寺の変(明智光秀謀反)で急死し 安土城は 明智光秀の物になりました。しかし山崎の地で、羽柴秀吉に敗れ 光秀の放火により 城は焼失しました。 あの、情熱をかけた城も信長は僅か3年過ごしただけでした。
安土城は、戦闘態勢の城ではなく、威厳、威圧に満ちた城郭で 信長の、(もう戦争はさせないぞ)という気構えが 見て取れます。豪華な石積を見ても それが良く解ります。安土城以降の城を、近代城郭といい言い� 戦闘よりも 地域を治める形に 変わっていったのです。安土城の中の様子は、ほとんど知られていません。それで(幻の名城)と呼ばれています。
フレンズ小林