2018年06月19日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 忘れてはいけない明治の女傑

(九転十起生)を掲げ、明治を代表する女性実業家【広岡浅子】を忘れてはいけません。京都小石川三井家に生まれ、17才で大阪の豪商 加島屋の広岡信五郎と結婚しました。
20才で明治維新を迎え、その動乱で 家業が傾いた加島屋を救うため 何もわからない実業界で奔走した。
まず、一族と共に 加島屋を立て直し 明治21年、探鉱事業に参画 護身用のピストルを身に着け、鉱夫たちと、寝起きをし 男たちもためらう仕事をこなし、狂人呼ばわりもされたそうです。明治21年【加島銀行】を設立。続いて明に35年には(【大同生命】創業に参加しました。炭鉱夫として働いた時の、坑夫の危険の仕事を、肌で感じたのでしょう。大阪では有力な、財閥に成長していきました。
女性教育にも力を入れ、実家の三井家一族や、加島屋から 援助を受け、1901年(明治34年)目白台に日本女子大学校(現、日本女子大学)設立を導きました。もちろん、夫の広岡信五郎も 創立委員で参画したそうです。
明治37年、夫、信五郎の死去と共に、事業の経営権を全て全て担当者に渡し 以後、女性教育、社会貢献事業に携わっていたそうです。素晴しい明治の女傑でした。
フレンズ小林