2019年03月21日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 日本の食文化を世界に広げた、ムッシュ村上シェフ


私達が旅行に行くと、食事はバイキングが多いですね。このバイキングキング 帝国ホテル総料理長『村上信夫』が考案したと伝えられています。

幼くして両親と死に別れ 13才から、コーヒー店、食堂に勤め 18才の時 帝国ホテルの見習いで入りました。最初は、鍋、釜、洗いを専門にしていたが、その働きぶりが 上級シェフに認められ、鍋に残ったソースの味見を 許されました。
その後 大戦でロシアに抑留され、26才で帝国ホテルに復職し、各部署をマスターし ヨーロッパに修行し、一流のシェフの登竜門、フランス、ホテルリッツで、技術を学び 37才の若さで、第二新館の料理長に就任するのです。
東京オリンピックでは、選手村の料理長として活躍し(一日2万食)その後(1964年) ホテル全体の料理を仕切る、 初代総料理長に就任 エリザベス女王の来日時、デイナーを担当し 絶賛を受け、料理に 女王陛下の名前をつける事を 許されました。
当時の上級シェフは、料理は(盗んで覚えろ)と言い レシピもなければ、工程も 解らなかったものを、村上シェフは  全料理(約400種類)を体系的に分け 誰でも作れる様に レシピを作成し 料理の効率を 図ったそうです。
愛称は、尊敬の念を込めて(ムッシュ村上)と呼ばれ 一般にシェフは 腕を磨けば独立し 自分の店を持ちましたが、ムッシュ村上は 最後まで(81才)帝国ホテルの顔として、勤めあげました。日本のみならず、世界の 名だたる賞を受賞し、日本料理、フランズ料理などを 世界に広めた功績は 偉大でした。84才で大往生を遂げました。  小林昭男