2019年02月20日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 日本庭園の研究かです。


私達が、神社仏閣を見学する場合、建物は勿論ですが、庭園に目が移ります。日本でも有数な庭師 重森美鈴氏は 日本庭園の設計者です。

当初は、画家を志願していましたが 1929年(昭和4年)京都に移り住み 勅使河原宗風らと、新興生け花宣言 をし 生け花の革新を提唱し、話題を呼びました。
その後、日本庭園を 独学で学び 昭和11年ころから、全国500か所以上、名庭園、古い庭園を回り 研究家として、 日本庭園の 先駆けとなった人です。
1976年(昭和51年)完途氏(長男)と共に 【日本庭園史体系】全33巻 を完成させるなど 日本庭園史に多大な貢献をしました。享年79才でした。
ご自分の名前を、三玲(ミレイ)フランソワ、ミレイに改名し
(一度出家すると戸籍を抹消で来ることを知り、出家して戻り)三玲のしたそうです。
長男、完途(カント) 次男、広俺(コーエン) 長女由郷(ユーゴー) 三男、執氏(ゲーテ)等々 ヨーロッパの偉人の名前を つけたことも有名です。子供や孫たちが 殆んど 芸術に関係する 職業についています。
上:岸和田城八陣の庭、中:京都瑞峰寺の庭、下:松尾大社蓬莱の庭 (重森三鈴美術館写真参照)小林昭男