2020年06月18日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 水戸光圀公は歴史家でもあった


『この紋どころが 目に入らぬか、恐れ多くも先の副将軍 水戸光圀公に有らせられるぞ 頭が高い控えおろう』テレビや映画でお馴染みの 水戸のご老公が お生まれになったのが1628年(寛永5年)6月10日です。光圀6歳の時 兄たちが病気がちや 事情があって 三男の光圀が 水戸藩の江戸小石川邸で 頼房(家康の11男)の2代目に就きました。
18才頃まで江戸の町を 遊び歩いていましたが 有るとき【史記】(前漢の司馬遷が書いた歴史書)伯夷、叔斉伝を読み 今までの生活を一変させたそうです。
伯夷、叔斉の相続の兄弟愛、自分が三男で相続したことと、思合わせ 兄弟愛に 目覚めました。
読書や学問の尊さを知り、生涯学問に専心し 他人に思いやる心、他人を尊敬する心を養いました。
自分が感動した歴史書(史記)に習って 日本の歴史書を書こうと決意しました。
戦国時代の戦いから、平和になった日本の江戸幕府を 転覆させない為 君臣の大義を 明文化することも確立したそうです。
元禄三年(1690年)建設された、徳川光圀の別邸、西山荘で 神武天皇~後小松川天皇までの100代 二百数十年に渡る月日をかけ 壮大な大日本史の編纂を始めました。72才で亡くなってからも その後を水戸藩で引き継ぎ 完成したのが明治になってからでした。
水戸黄門様は、全国を回り 悪代官を懲らしめただけではなく 立派な歴史家でもあったようです。  小林昭男