2019年10月03日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 津山城の石垣

【城】は読んで字の如く 土を造成して、小高くしたことからこの字が生まれてと 言われています。なんと言っても お城は、高い石垣、揃って頑強な 石垣でなければなりません。
日本三大平山城の一つ 津山城(他二つは、姫路城、愛媛松山城)は、素晴らしい石垣です。
1441年、この鶴山の地に、山名忠政が 城を築きました。山陰、山陽を結ぶ要所です。鶴山城とも言います。
その後、関ヶ原の戦いで、功績があった 小早川秀秋が入城 秀昭急死で 1603年、森可成(本能寺の変で亡くなった森蘭丸の父)が18万6千石で 城主になりました。
森家の子供たちは、朝倉攻めで、戦死 森蘭丸は、本能寺の変で戦死、小牧長久手の戦いで戦死したので 6男忠政が 後を継いだそうです。
戦国時代の、悲劇の典型ともみられる この城の城主 しかし、お城は永久に 美しい姿を残しています。特に、御厨堀、薬研堀は 室町時代の名残として、貴重です。
小林昭男

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