2018年09月27日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 災害は忘れた頃やってきます。


東洋のタイタニック号事件 1954年(昭和29年)9月26日、北海道、青函連絡船洞 洞爺丸が沈没し 死者、行方不明者合わせて、1155人の尊い命が奪われました。

函館海洋気象台(当時)によると 台風15号は、15時時点では、青森県西 100kmを 968ミリバール(hPa)時速110kmで 北東に 進んでいたそうです。17時、風も収まり、晴れ間ものぞき、台風の目が 通過した事を確認後、18時39分  石狩丸の繋留を見届けて, 乗組員、乗客合わせて1337人で出航 港外に出た直後、平均風速40m、瞬間最大50mの 南西方向の 強風で 車の乗降口から 大量の海水が流れ込み 沈没し、史上例を見ない 事故になりました。
また、同じ日、積丹半島西海岸 岩内町で、火災が発生 台風15号の 南の風にあおられて 北に燃え広がり、町の半数の家が 焼けている最中、台風の移動により 西の風が  風速40m~50mに強まり 町の80%(3298戸)を焼き尽くしました。
昔から 北海道には ほとんど台風は行かないので、油断があったかもしれません。災害は、年を追って大きくなり頻繁に 来るように なったような気がします。
オスプレイや、巡航ミサイルも 必要かも知れませんが、5000億、8000億円もかけるなら、まず国内の防災に、お金を掛けて もらいたいと思います。右:洞爺丸慰霊碑
フレンズ小林