2018年12月15日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 知将真田昌幸の生き方。


信州の上田城です。1583年。 知将、真田昌幸が大規模な、本格的な お城を築き 上田城と 名付けました。関ケ原の戦いの折 長男信之には、東軍(徳川家康)に、昌幸、次男幸村は、西軍側(石田三成)に付き 真田家の 存続を図りました。戦いに負けた 昌幸、幸村父子は 高野山に流され 長男信之が 後を継ぎました。

信之はその後(1622年)松代に移され 仙谷家が 居城としていましたが 1706年 松平家の居城になり 江戸末期まで続きました。もともと上田城には 天守閣は無く 仙谷家時代に7棟の 櫓(やぐら)を建て、現代、その遺構 が残っています。武田信玄、真田幸村、上杉謙信 そんな武将が、自分の土地を守るために 戦った時代ですね。
東虎門右手石垣の 大石は 縦2.5m、横3mも有り、信之移封の際、父の形見として、持ち出そうとしましたが、ビクともしなかったそうです。  小林昭男