神童と言われて 幼児期を過ごした、石川啄木は 明治31年、現在の盛岡第一高校に入学 金田一京助と知りい 与謝野晶子の短歌に傾倒したのも この頃でした。明治35年文學を志し 上京『明星』の同人になるも 病気で帰郷しました。 『東海の小島の磯の白浜に 我泣きぬれてカニとたわむる。』
19才で結婚、渋民尋常小学校の教員になりましたが、新しい世界を夢見て、北海道に渡り 新聞記者などをしていました。 『戯(たわむ)れに母を背負いてそのあまり 軽きに泣いて三歩歩めず』
明治43年 第一回の詩集 一握の砂 を発刊したのです。 『人が皆 われより偉く見ゆる日よ 花を買いて妻と親しむ』
この頃から啄木を病魔が蝕み 肺結核と、腹膜炎を併発 26才の若さで、亡くなりました。
上右:金田一京助と。 小林昭男