2018年06月16日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 秀吉最後の大戦は小田原城攻めでした。

豊臣秀吉最後の戦い、小田原城を包囲する目的で造った城 石垣山城のお話です。1590年西の 毛利氏を治め、東の小田原征伐の時 小田原城より 3Km離れ、見晴らしのいい 笠懸山に 一夜にして造ったと 言われているのが�、石垣山城です。
一夜城とも、太閤の一夜城とも 言われています。実際には4万人の人足と 80日かかったとも 言われています。
下から解らない様に 山の頂上を造成し、石垣を築いてから周りの木を切ったので北条方は アッと驚き戦意を失ったともいわれています。
秀吉は、水、陸合わせて15万の兵で 小田原城を包囲し 兵糧攻めに 掛かりましたが、北条方は和睦か、戦うかで迷い(小田原評定)ついに全面降伏しました。
規模は相当大きく、肥前(九州)の名護屋城に似ているので
縄張りは、黒田如水が 石積は 近江の 穴太衆が造ったとも伝えられています。野面積みの 頑固なもので、長期戦に備えたものです。この城には 戦いのさなか秀吉は、淀君や、千利休をよび、茶会などして、戦況を見守っていたそうです。
現在、新日本百名城に指定されています(日本城郭協会指定)
フレンズ小林