2018年05月25日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 隠元禅師の功績。

八十八夜も過ぎて 新茶が出回ってきました。本来江戸初期までは 抹茶が主流で 作法が厳格に決まって居ました。お茶を飲む場所から、立ち振る舞い、飲み方から 服装まで格式が有り 一般庶民の物では有りませんでした。
江戸時代の前期、四代将軍 徳川家綱の時代 中国から隠元禅師をお招きし、宗派を超えた 仏教の普及に努めました。
禅師は、明、時代の僧侶で、10歳で父を失い、仏門に入り厳格な修行と、併せ持った博学で 将軍に仕えました。まず、植物繊維と、たんぱく質の多い、【インゲン豆】の普及を行いました。誰い言うとなく 隠元禅師の名前をつけ、インゲン豆といったそうです。
第二は お茶の普及でした。厳格な茶道から脱却し 庶民が楽しめる様に 煎茶を奨励したのです。乾燥した茶葉をそのまま急須に入れて、いつでもどこでも、気軽に親を楽しめる様にしたのです。楽しい時も、悲しい時の、食事の時も、プレゼントにも お茶は 日本人には欠かせないものになりました。気軽に近所の奥さん方が、急須に茶葉を入れ、がぶりと飲みながら世間話が出来るのも 隠元禅師のおかげです。