2019年04月13日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 風誘う花よりも我はまた・・・内匠頭の辞世の詩です。

 

 


今日の風で、せっかく咲いた満開の桜が はらはらと 散り始めました。

『風誘う、花よりもなお我は又 春の名残を、如何にとやせん。』

ご存知の 浅野内匠頭長矩の辞世の句です。この、(春の名残を如何にとやせん)を読んだ 大石内蔵助は、殿の無念を晴らすため、仇討ちを 決意したと言われています。
元禄14年4月(1701年4月17日)殿中、松の廊下で、いじわるされた、吉良上野之介に 刃傷に及びました。(後、一太刀と懇願したのですが、梶川頼照に抑えられ、幕府の命により  一関藩、田村邸(芝愛宕下、現港区新橋)で切腹したのです。
浅野内匠頭は 9才で赤穂の城の 家督を継いだので、我慢、忍耐が 足りなかったのでしょうね。
でも、元禄の平和な時代、47人もの武装した人たちが、敵討ちを したんですから、スゴイ事件だったんでしょうね。   小林昭男