2019年01月10日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 上杉謙信の居城 春日山城


我が山梨県に 最も関係がある 上杉謙信の居城、春日山城を、思い出し書いてみました。

1561年 長野県内、川中島の戦いの中でも 4次川中島合戦が有名です。武田軍は、茶臼山周辺に2万の兵、一方上杉陣は、1万3千で、妻女山に布陣し 激しい戦いをしました。武田方は、信玄の弟 副将信繁、軍師山本勘助、諸角豊後の守 など、多くの犠牲を払い 双方で、7000人の死傷者が出たと言われています。それはさておき  上杉謙信の居城 春日山城は 室町時代、越後の守護、長尾為影が 標高180mの要害に 縄張りしたと 伝えられています。
周辺に広がる田園や、山里を含む 膨大な領地は(春日山を制するものは、越後を制す)と言われたそうです。
しかし不運にも、謙信は 1578年 京都出兵直前、病死 天下統一の願いは、崩れ去りました。その後、養子の景勝は、会津(福島県)に入封 堀家が、入城することになりました。
現在でも 無数の、空堀,土塁、井戸、曲輪の跡が残り、中世末の 山城の規模を伝える 重要な史跡になって居ます。(名古屋工業大学元教授内藤昌工学博士著書一部参照)
小林昭男