月別アーカイブ: 2019年1月

2019年01月31日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 梅、一輪、一輪ずつの温かさ。


雪理梅花(せつりばいか)と読みます。

梅の花や スイセンの便りを 耳にするようになりました。寒い雪の中でも、梅の木は 花を咲かせる準備を しているのでしょうね。少し芽が膨らんできた様な 気がします。
必ず春は来る と信じ 待つ者は、苦楽を越えられる 者なのでしょう。野山の梅、家庭の片隅にある梅 まだ、寒風が吹きすさぶなか、この時期 木々たちは、去年から温めていた花芽を そっと守り続けて来たのでしょう。
通り掛かったら、(よく頑張ったね、もう春はそこまで来ているよ)と 声を掛けたくなりますね。
そんな 声掛けが出来る人は、自分の心の中でも 雪理の梅花が開き始めて いるのでしょうね。(禅宗 酒井大岳師参照) 小林昭男

2019年01月29日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 8か月寝ている動物もいます。


虫類や、哺乳類の一部の動物は 冬食べ物が無くなると  冬眠を開始します。爬虫類は 変温動物で 温度が下がると 体が動けなくなり 冬眠中は仮死状態です。哺乳類は 呼吸や心臓の働きを抑え 少しでもエネルギーを 最小限に抑え冬眠します。

北アメリカに分布する ワシントンジリスは、冬眠と夏眠をする 不思議な動物です。3月ころ 冬眠から覚めて、せっせと餌を食べ、交尾し、子供を平均8っ匹ほど産み、6月に入ると せっせと仮眠の入ります。北アメリカの砂漠地方に住む彼らは 太陽が カンカン照り付ける夏は 夏眠にします。外は燃える様な暑さで、草花は枯れ、水も干上がります。ワシントンジリスはなんと そのまま冬眠に入ってしまい 来年の2月まで 冬眠をしています。要するに8っか月も 眠り続けるのです。
陽気の良い、春から、初夏まで、4か月 地上で活躍するのです。
ワニや、肺魚、カエルの一部も 雨が降らす乾燥すると、泥の中で、夏眠をする事も有りますが、引き続き、冬眠する動物はいないと思います。
地球の気候の いいとこどりをする、頭のいい動物もいるようです。
小林昭男

2019年01月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 受験シーズンになりました。


東風吹かば、匂い起こせよ梅の花、主なしとて、春な忘れそ。)

901年、菅原道真(天神様、菅公)が、政敵、藤原時平の讒言によって、左遷され 大宰府(福岡県太宰府市)に下るときに、 長年大切にしていた 梅の花に 別れを惜しんで 言った詩だと 伝えられています。旧暦二月一日 梅が芳香を放ってい 咲いているのを見て、来年も東風に乗って、その香りを 大宰府まで、忘れずに 届けておくれ)と言って、僅かな人数で 下りて行ったそうです。優秀な政治家で、宇多天皇に重用され、右大臣にまで出世しましたが 藤原家の妬みと派閥争いや、天皇家(宇田天皇から、醍醐天皇に変わった後、左大臣、藤原時平らの 計略にはまり失脚しました。
菅原道真が 大宰府に赴任した死後 京都に天災地変が起こったいます。
飢饉や干ばつで、多数の住民が餓死し、906年 時平と共謀した 藤原定国が40才の若さで亡くなりました。
908年 道真生前 宇多上皇が、醍醐天皇に面会し、道真を呼び戻そうとしたとき、面会を断った、藤原菅根(すがね)が 雷に打たれて即死、909年 最大の政敵、藤原時保らが39才の若さで病死いたのです。
これらは【菅公殿のたたりだ】と人々は 恐れ、慄いたそうです。
その後朝廷も、道真の偉大な功績を讃え 神様として末永く お祀りをしました。今でも、受験生は、天神様や、天満宮に 合格祈願に行っています。
上:菅原天満宮:左天満宮の紋章:中大宰府天満宮:百人一首(このたびは幣もとりあえず手向山、もみじの錦、神のまにまに(道真)  小林昭男
左から:菅原天満宮:天満宮に紋章:大宰府天満宮:百人一首菅原道真公

2019年01月24日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 働き者の蜜バチは何時眠るのでしょうか。

 


寒くなると朝、布団から出られません。冬眠したいくらいです。昆虫は 冬眠ではなく
卵や、蛹などで越冬します。(一部成虫で冬越し)でも、ミツバチは冬眠しません。秋、一番最後に 成虫に なったミツバチが 寄り集まって越冬します。

働きぶりでは、生物界で 王座を譲らないミツバチは、何時 眠るのでしょう。まず、女王バチですが、4月以後、一日に2000個も卵を産んで活躍しますが 冬季は、卵は産みませんが、眠ってはいません。ほかの働きバチも 蜂球を造って、もそもそ動いています。外側になった蜂は、羽根を小刻みにして震わせ、熱を発して 全体を温めています。ミツバチが活動できる温度(20℃)を守っています。
冬季でも、少し暖かい日は、蜜を求めて 飛ぶときも 有るそうですが、巣の中で眠っているハチは無いそうです。
陽気が良くなり、活躍し始めても 働きバチは、巣のお掃除や、巣造りなどで、ねむりません。野外に出掛けて 蜜を集め労働をするときも 巣に帰り、収穫ダンスをして、仲間に蜜のありかを教えて 眠る気配は無いそうです。
冬の寒い夜も、一匹の女王バチと、数千匹の働きバチ(すべて雌)で、鉢球を造り じっと春を待っていて 眠っているハチは一匹もいないそうです。ミツバチの世界には、睡眠は無いのです。
小林昭男

2019年01月24日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) この讃美歌を時々口ずさみます。


慈しみ深き友なるイエスは

罪とが愁いを取り去り給う
心の嘆きを包まず述べて
などか下ろさぬ負える重荷を

私の母がクリスチャンで、甲府協会(プロテスタント)の南隣の英和幼稚園に勤めていました。今の市役所西側です。日曜日は必ず 私と姉を連れて、甲府協会の 日曜学校に来ました。当時の牧師さんは 小野善太郎牧師でかなり年配でした。私は讃美歌312番 この歌が好きでした。
母は、47才で亡くなった時 幼稚園関係者や、英和高校(キリスト教系)のグリンバンク女史も(慈しみ深き)を歌って、母を送ってくれました。母の兄が 英和学院の教師をしていた 関係で 女史も来て いただいたと思います。

慈しみ深き友なるイエスは
われらの弱きを聞いて憐れむ
悩み悲しみに沈める時も
祈りにこたえて 慰めたもう
母が 亡くなってからは 教会に行きませんでした。でも、この讃美歌だけは、悔しい時、悲しい時、うれしい時 今でも口ずさみます。何か心の重荷が 降りたような気がします小林昭男

2019年01月21日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 地球を守るのは人類の責任です。


北極で、氷の研究をしている日本、ドイツ、デンマークの研究チームが、今一番心配せていることは 黒い氷の発見です。ススの微粒子が 氷に付着し 黒くなっている状態です。黒いススが付着すると、太陽光線を吸収し、温度が上がり、氷が融けてしまいます。その部分を上から ドローンでみると、月のクレーターの様だと言っています。この現象により、巨大な氷山が、いとも簡単に溶けだし、北極海の 氷床免責を減少させているのです。これは、温暖化現象を加速させ さらに氷山を 溶かし続けることになります。

21世紀に入ってから、20%位の 氷が解けたという報告もあるそうです。平均気温が上がっての 砂嵐や砂漠化 南太平洋ミクロネシア等の 海岸線の後退 プラスチックごみによる海洋汚染、アフリカ大陸の、大規模森林破壊による 砂漠化(一年に東京都の半分くらい)アメリカ大陸などの大火災 等々、温暖化被害は 数えきれません。私だちで出来る事を、コツコツすると同時に 国家の指導者たちも、国連を中心に、真剣に話し合う必要に 迫れれていると思います。
中長距離ミサイルの開発、宇宙戦争の用意も必要でしょうけど 地球に住めない様なったら、何の価値もなくなってしまいます。今世紀の課題は 地球温暖化防止 ではないかと思います。
小林昭男

2019年01月18日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 美しい文章は、歴史に残ります。


国境の長いトンネルを抜けると 雪国であった。夜の底が白くなって、信号所に汽車が止まった。)で始まる【雪国】は川端康成の 代表作ですね。都会育ちで、親の財産で 生活している島村と、越後湯沢の芸者 駒子の出会いから、段々変わっていく駒子の生活、葉子さんの愛情表現などを 温泉の風景を観察しながら 書いた小説です。筋書きは ことよくある 事柄ですが、描写が美しいですね。(もうそんな寒さだと 島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしい バラックが山裾に 寒々と散らばっているだけで 雪の色はそこまで いかないうちに 闇に 飲まれていった)いかにも、吹雪の寒さを感じます。 また、『翌年の秋、島村は駒子を尋ねました。宿の窓には まだ、夏の虫よけの網戸が 張ったままで 杉林をトンボが 飛び 山の中腹に 白萩らしい白い花が 咲き乱れているのが、部屋から見えました。』などは、ゆっくり流れる時間を 表現しています。

川端康成は 明治45年大阪、茨木中学入学と同時に、詩や短歌の 投稿を始めました。大正9年、東京帝国大学文学部に入り、『新思潮』に参加すると、菊池寛に認められ (文藝春秋)の同人になったのです。昭和36年文化勲章、43年には日本初のノーベル文学賞も受賞しましたが、昭和47年ガス自殺を図り死亡しました。
左2::越後湯沢に入るトンネル、3:駒子のモデルになった松栄さん、4:雪国を書いた旅館高半   小林昭男

2019年01月17日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 東大寺に行ったら、賓頭盧様もお参りしましょう。


お早うございます。折角、古都奈良県法隆寺を書きましたので、東大寺の 賓頭盧様を、説明します。

東大寺大仏殿の 向かって右側に 座しております赤い衣、赤い帽子をかぶった 仏像が賓頭盧様です。
びんずる様は、獅子吼第一と呼ばれ 神通力が強かったので 調子に乗り、いたずらしたのを お釈迦様に叱責され、(修行者らしからぬ)と正しい行いが出来るまで、涅槃に入れなくなりました。釈迦の入滅後も、正法を守り 衆生(民衆)の救済に当たり 16羅漢の一人になって居ます。
中国では、460年ころから聖僧として崇め 尊敬し 銅像なども 造られる様になったそうです。
日本では、神通力が有るという事で、仏閣の回廊や、外陣に お祀りし 病んでいる場所と、同じところを 撫ぜれば 病気が治ると 伝えられています。東大寺の お賓頭盧さんも 膝、肩、腰などが、皆さんに撫でられて ピカピカ光っています。病んでいるところが有りましたら、おびんずる様に、直して頂きましょう。  小林昭男

2019年01月15日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 古都奈良を散歩しましょう。法隆寺


2600年前お釈迦様(80才没)が仏教を広めたころは、 人生50年以下だったようですが 現在では、80才90才は当たり前の 時代になりました。その時代は、働いている時間と 死ぬ時間が 一緒に来ました。今、70才まで働いても残りの10年、20年を どう過ごすかが問題です。まず、旅にでることでは、ないでしょうか。

その旅の 途中で出会う、由緒ある 神社仏閣に触れ、自分の 人生を振り返り、これから 辿るであろう道を 思う事も楽しいでは 有りませんか。
まず、京都、奈良は 如何でしょう。日本最古の木造建物、 法隆寺を 覗いてみましょう。
奈良県生駒郡斑鳩町 聖徳宗の総本山 古くは,斑鳩寺ともよばれ、創建は607年ころです。
五重塔や、金堂などが有る、西院伽藍 夢殿などが有る、東院伽藍に分かれ、西院伽藍は、木造建築では 世界最古の建物と言われています。金堂の、釈迦三尊像、薬師如来坐像 夢殿の、救世観音座像などの仏像 玉虫厨子、伝橘婦人念持仏などの絵画、工芸品などは、国宝です。建物の中に入ると、ブッタの化身達が 千変万化の表情で、私達に 語り掛けてきます。
また、庭を見渡せば 樹木、庭石、草花までが 飛鳥時代の優雅な風に乗り、そっと、肌に触れてくるでしょう。さあ、旅に出ましょう。そして、ご先祖様と語り合いましょう。  小林昭男

2019年01月15日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 大久保彦左衛門と、一心太助

  •   お正月と言うと、大久保彦左衛門、一心太助を思い出します。将軍に お小言を言う人は彦座右衛門しかいませんでした。(我16才にて初陣し)と鳶の巣文珠山の戦いを 長々しゃべり 家康、秀忠、家光 3代に仕え 江戸庶民からも 愛されました。
    1650年三河の国(愛知県岡崎市)で 大久保忠員の八男に生まれ、兄、大久保忠世と共に 戦場を駆け回りました。 (犬居城の合戦が初陣の説もある) 他に高天神城攻め、1585年の、上田城の戦いでは、強敵 真田昌幸と戦い 兄、忠世と共に奮闘したのは有名です。1590年、家康が江戸に 入封され、小田原城に 大久保忠世、忠隣親子が入城すると 初めて3000石の 旗本になり、関ヶ原の戦いでは、2代将軍秀忠を補佐しました。
    江戸が落ち着き、戦いが無く 平穏になり、武闘派から、文民型になってからも 下級武士の就職の斡旋や、庶民との交流を推進するなど、陰から 江戸幕府を支えたそうです。城内の 馬乗り入り禁止令に逆らい、籠に乗り 登城したのは、武士たるものは、常に臨戦態勢なので、禁止令は まかりならん殿 表示だったそうです。
    後年、三河物語を書き、お城お出入りの魚や 「一心太助」等の話も有名です。菩提寺は 岡崎市、海雲山長福寺 その外、京都上京区、光了山本禅寺 東京都港区白金、智光山立行寺は 大久保彦座右衛門忠教が 建立したので 大久保寺とも言われているそうです。80才の天寿を全うしました。右:鳶の巣文珠山城の跡     小林昭男