月別アーカイブ: 2018年2月

2018年02月28日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 谷風梶之介の命日で下。

去年角界で いろいろな事件が起こりました。殴った、殴られた、協会を
馬鹿にしたなどですが、過去にはスゴイ力士がいました。江戸時代の偉大な
力士の 谷風梶之介が1795年2月27日が命日です。35連勝中 インフルエ
ンザで現役横綱で。身長189cm、体重169kgの堂々とした体格で63連勝
した記録は 150年間も破られませんでした。(双葉山69連勝で破った)
1750年陸奥の国、宮城群(現、仙台市若林区)で誕生し 7歳の時 玄米
五斗入りの俵を持ち上げ、12歳の時 近所の酒屋の天秤石(酒を絞る石
大人で7人掛りで持つ)を一人で持ち上げ、大人を驚嘆させました。
雷電為衛門、小野川喜三郎と 江戸時代の 相撲界を盛り上げた一人です。
谷風は、特に人望が有り 顔も精悍でいろいろな逸話が有ります。特に有名
な話が有ります。
平幕に(佐野山)と言う力士がいて、まじめに稽古もしていましたが体が少し
小さく、出世が遅れ、病弱の母を抱え貧乏していました。そのことを聞いた
谷風は、世話役に頼み相撲興行をし 谷風と、佐野山の対戦を組み、江戸市民は
殆んど谷風に駆けました。(このころは賭け事O,K)そしてうまく負けてやり
賞金を佐野山に渡し 母親の前で、土俵入りまでしたそうです。江戸市民は
騙されたのを承知で、谷風を褒め讃えたそうです。(八百長はいけませんが
江戸時代の話ですから) フレンズ  小林

2018年02月25日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) ツグミがロシアへ帰ると時 春真っ最中。

我が家の愛犬と いつもの様に近くを流れる、十郎川を散歩中、野鳥に
ツグミを見ました。(写真は図鑑参照)十月中旬から下旬にかけてシベリア
方面から冬鳥としてやってきます。秋から冬にかけては群れをなして山の
気のみを食べたりして過ごしていますが 冬から春にかけては平地(田、
畑、川のほとり)に下りてきます。ツグミが付近にいる事は、春になり
シベリヤ方面に渡る順義に入ったことを示しています。
ツグミの特徴は、両足を合わせてぴょんぴょん跳ねながら、歩くことです。
大きさは、羽と~小さく、スズメより大きく、ヒヨドリと同じくらいです。
雄は首から腹にかけてウロコ模様がはっきり見えるのですぐ解ります。
目は、鳥目ではなく、夜、行動出来るので タカなどに襲われる心配は有り
ません
鳴き声は殆んど泣かず、口をつむぐので(ツグミ)と名付けたそう
です。旅立ちの頃、ジジ、ジジ、と鳴く時もあるそうです。地域によっては
庭や、公園で見かけます。四月ころまで充分餌を食べて体力をつけシベリヤ
方面に帰っていきます。自然の仕組みは素晴らしいですね。1000k以上の長い
距離を一年間に二回も飛ばして、弱い鳥を自然淘汰しているのでしょう。
フレンズ 小林。

2018年02月24日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 東北地方は大雪です。

山梨県はこの所 災害が有りません。台風は逸れ、八ヶ岳おろしも少なく
なりました。北海道や、青森県は大変な豪雪です。本州最北端の青森県の
弘前城が、雪に覆われています。皆さんご存知の 桜で有名な
弘前城。
津軽藩10万石津軽家の居城です。初代為信が、1604年城下町の設計に取
り掛かりました。
2代目信平が 学者面松斉佑光に 築城術を学び東海
吉兵衛が縄張りをしたと伝えられています。
五層の天守閣の本丸や、三重の堀をめぐらし城下町が完成したのが 1611
年、でした。しかし、1627年五層の天守閣は、落雷で全焼 1810年本丸
巽櫓を改装して、三層の天守閣を造り、現在に至っています。
大手筋道から見ると 切妻破風型になって豪華に見えますが、裏側は極、
簡素な略式天守です。三の丸追手門
、東門などは1611年に建ったものが
そのまま残されていて、櫓門としては、最も古く大変貴重です。
関東地方より かなり遅れて桜が咲きますので、大勢の観光客でに
ぎわいます。フレンズ  小林

2018年02月19日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 人生、意気に感ず

高校卒業後、一生懸命仕事をしてきました。少しでも楽をしたい、少しでも
儲けたい、そんな気持ちで商売をしてきました。子供を育て、会社を設立し
バブルで少し儲け、バブル崩壊で全部無く、しいろいろ体験してきました。
でも、働くことは、金儲けの為ばかりではないと、途中から気ずいた様な

気がしました。(人生意気に感ず)と言う格言が有ります。魏懲が(述懐)
の中の詩でいます。人間は、他人の気性の良さに感動して、仕事をするので
あって 金や、名誉の為だけにするものでは無い、と言っています。
魏懲が あまり有名でないとき、大志を抱いた彼は山東省の大敵、徐世蹟を
打たんと、皇帝高祖に願い出ると、高祖はこれを許してくれた。その時の

気持ちを詠ったのが【述懐】で(人生意気に感ず、功名誰か論ぜん)です。
自分の心を良く理解してくれた君恩に 報いようと言う気持ちが良く表れて
います。ただ、お金の為だけに働くのでは、詰まらないでは有りませんか
あの人の為なら、この組織の為なら 命を賭してもやり抜く そんな仕事を
する気構えも 時には必要かもしれません。  フレンズ 小林。

2018年02月18日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 食生活が変わってきました。

最近は幼、小~中高年の働き盛りの人まで、肥満児、メタボになって
います。美味しいものが 有り余っている現在 当然かもしれません。
私が育った終戦直後、母親たちは食事の時、これは栄養が有るから食べな
さい、これを食べれば大きくなるから食べなさいと、栄養価の高いものを
勧めました。肉は固い馬肉で、ジャガイモとに煮てありました。ひと月
1,2回の卵かけご飯は、1個の卵を兄妹で分け合って食べました。
現在では、これがヘルシーだから食べなさい、これは、糖分控えめだ
から食べなさい、これは、脂肪分が少ないから食べなさい。私が育った
時と、まったく 逆の事を教えています。幸せの世の中になりました。
義理チョコを配り、恵方巻が余ったからと言って、どんどん捨て、賞味
期限が過ぎたからと言って、何億円もかけて、処分する、果たしてこれで
良いのでしょうか。私達はこの素晴らしい地球を、次の世代に残していく
責任が有ります。限りある資源を、少しでも長く、後世に残さねばなり
ません。ケチケチする必要はないと思いますが、無駄使いは、慎まなけ
ればなりません。ものを大切に、有意義に使う必要があると思います。
フレンズ  小林

2018年02月13日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 五風、十雨(ごふう、じゅうう)

昼間の時間は かなり長くなりましたが、まだまだ寒い日が続きます。
五風、十雨 五日に一度、風が吹き 十日に一度雨が降る、天候が順調
に、進んでいると言う意味でしょう。程よい風、程よい雨の恵みに感謝
する 気持ちが必要でしょう。自然は、人間に合わせて、吹いたり、降
った りはしないでしょう。降るときは振り、吹く時は、吹くのです。
雨、風が 嫌と言う事は 人間の方に 問題が有るわけでしょう。
『雨の日は雨に感謝し、風の日は、風に感謝する』自然に順応し、自然
と、共に生きる、禅宗には そんな教えが有ります。
しかし、最近では 気候が順調だとは 言い切れない時もあります。
自然に融合しようとしない人間の暴走で、自然を破壊し、事前を人間の為に
支配する風潮に成って来た様な、気がします。自然は戸惑い、均衡を保て
なくなっているからです。私たちは謙虚に自然と共存することを考える
時が来ています。フレンズ 小林

 

2018年02月10日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 東風吹かば、匂い起こせよ梅の花

 

立春も過ぎて、そろそろ梅の花の便りが 有る事でしょう。私の家の近くに
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、開いた、酒折の宮が有り
隣接に不老園と言う梅の名所が有ります。梅の花と言えば、菅原道真公で
しょう。
東風吹かば、匂い起こせよ梅の花 主無しとて、春な忘れそ)
権力闘争に負けて、九州大宰府下向する折り、読んだ和歌だと伝えてられて
います。845年奈良県菅原町に生まれ(滋賀県長浜町の説もある)幼少の時
から、神童と呼ばれ 23才の時 正六以下野権正に任命され、32才で式部
少輔文書博士に、トントン拍子に出世していきました。宇多天皇に信任
され、要職を歴任、890年には 従二位右大臣まで(行政のNO2)昇り詰
めました
。遣唐使にも任命されましたが、唐の混乱で、中止されましたが、
学問に関しては、超一流の官僚だったそうです。しかし、家柄や、出世の
速さから、妬みを受け、藤原一族の懺悔もあり権力闘争(藤原時平)に負け
太宰府に、流されました。903年に没すると(59才)奈良の都では、地震や、
天災地変が多発、道真の祟りだと騒がれ、時の天皇、醍醐天皇は、官位を
正一位、太政大臣に上げ、天神様、天満宮として、祀られたそうです。
大学の受験生などは、必ずお参りするそうです。フレンズ小林

2018年02月09日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 寒いですが、夜空を見ましょう。

冬の星空とソロソロお別れです。7時半、南東の方角にオリオン座が良く
見えます。風が有り、気温が低いほど鮮やかに輝きます。
三つ縦に並んだ三連星、その左側に真っ赤なベテルギュース。その右側
には、青白く輝く、リゲル。ライオンの皮を抱えた、ギリシャ神話の英雄
狩人オリオンの姿です。オリオン座の下には、大犬座のシリウス、三連星
の上には、おうし座のアルデバラン。天頂にはプレアデス(スバル)代表的
な冬の星座のオンパレードです。真っ赤な星、ベルトギュースは、地球から
500光年の距離にあり、表面温度は3000℃しかありません。温度は太陽の
半分ですが、直径が800倍もあり、星としては、寿命でソロソロ大爆発して
超新星に成る予定です。リゲルは10000℃、直径は太陽の70倍、地球から
700光年離れています。今見ている光は鎌倉時代の光かも。
オリオン座の下に、全宇宙で一番明るい星、大犬座シリウスが見えます。
重量は、太陽の2、5倍、直径1.7倍と小さな星ですが、表面温度10000万℃
内部オ温度は20000℃以上あり、地球から8.6光年しか有りませんので明るく
見えます。(1光年:9兆5000億Km)
東方向の空だけで、御者座カペラ、小犬ブロキオン、ふたご座カルトス、
ボルックス等、夜空を にぎ合わせています。この星達は、段々南から西に
移動し、やがて春の星座に移っていきます。少し寒いですが、是非夜空を
見上げて、壮大な宇宙の素晴らしさを観測しましょう。
フレンズ  小林。

2018年02月04日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 新しくなった姫路城を見たい。

真っ白に表替えした、姫路城、国宝の貫禄で、周辺を、見渡しています。
徳川家康が、山陽道の初版を、支配するため、重臣池田輝政に築かせた
山陽道きっての、重要なお城です。標高45mの平山に築いて、石垣上部
まで60m、天守閣の上までは92m有る、立派な高層建築です。天守閣の
北東部分には、外観三層、内部4階の 東小天守が 北西隅には、
外観3階、地下1階、石垣上4階の 乾小天守が有ります。南西側にも、
外観3層、地下2階の、西小天守が有り、書く小天守を、渡り櫓で結んで
います。姫路城の内郭は、全姫路城外郭の 8%にもなり 江戸城規模
に匹敵します。縄張り、設計は 江戸城を手掛けた、藤堂高虎、その
家臣たちが
大工の棟梁は、城造の名人、磯部吉三郎政房が担当しました
内部は複雑で、案内人が必要です。外敵から城を守るための設計だと思わ
れます。城下町の形態は、武家屋敷や、下級武士の長屋が有り、町人は
職人などと住む、大工町、紺屋町 商業地は、肴町、茶町、呉服町、塩町
米町、材木町等 扱う品物の町名が付けられたそうです。その他、神社
お寺は、特別に広い土地が与えられました。
姫路城の城下町は平方キロmあり、武家屋敷は60% 町人価値30%

空地も0.1%あり 火災を防御するように工夫されていました。
フレンズ  小林