私は75才までは不動産業をして来ましたが、いつも片手に 地図を持っていました。1745年1月11日に上総の国 今の千葉県九十九里町に日本地図を作った、伊能忠敬が誕生しました。 彼は商人で、地図とは無関係の人生でした。17才で地元では有名な 造り酒屋に婿養子に入り、元よりの秀才で 経営難だった家業を 見事に立ち直したそうです。
50才の時、子供達が成長すると 家業を長男に任せ、江戸へ出て 学問の道に入りましたが、学者仲間(高橋至時)の紹介で、幕府の 蝦夷地測量に 携わる事になり 伊能忠敬55才でした。トランシットもない時代 一歩を70Cmに訓練した仲間と距離を計算し、作成した地図を 江戸に帰って 幕府の役人に見せたところ 驚き、新たに全国の地図を作成する様、要請されたそうです。
東北から九州まで 17年かけて 大日本沿海輿地全図を 完成させたのが72才だったそうです。
1818年、74才でその生涯を終わりましたが、全図の仕上げは、弟子たちが作成し 完成図を見ずに 亡くなったと言われています。明治に入ってから、伊能忠敬の日本地図が、日本の標準日本地図として、公に発布されました。すごい人がいたんですね。一番弟子には、カラフト迄、測った間宮林蔵もいます。カラフトも、日本人が最初に 上陸し測量した土地ですから、日本の領土ですね。 小林昭男