2020年08月24日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 我は海の子白波の

【われは海の子 白波の さわぐ磯部の松原に          煙たなびく そまやこそ 我が懐かしき 住みかなれ】
いつもなら、賑わっている海の家も 今年は有りません。明治時代の海辺に戻ったようです。後一週間余りで 8月も終わってしまいます。
【生まれて 潮にゆあみして 波を子守の歌と聞き 
千里寄せ来る 海の気を 吸いて童(わらべ)と なりにけり】
7番まで有りますが省略します。
明治43年、尋常小学校唱歌 6年生部門に掲載され 歌い継がれましたが 作詞者が不明でした。当時小樽新聞の記者だった(宮原晃一郎)さんの 作詞だったのでした。
明治15年、鹿児島市で生まれ 10才までいましたが、大自然の中の 鹿児島の海が 強く印象に残っていたのでしょう。
平成元年、晃一郎の長女,典子さんが 所持していた書類の中に 文部省の 入選通知と、著作権譲渡要請状が見つかり、父、晃一郎の作詞が 確定したそうです。ただ7番の詩には
【いで大船を乗り出して 我は拾わん海の富                いで軍艦に乗りくみて 我は護らん海の国】と 全体では、戦前の風潮で 体を鍛え、お国の為に尽くす 内容になって居ます。
晃一郎は 新聞記者をやめた後 外国の文学の翻訳や、児童小説を多数書いて 昭和20年に 亡くなりました

注:磯部 いそべ 岩石の多い、海辺  そまや:茅葺の粗末な家  潮にあゆみして:海水で産湯をする  童となりけり:少年にそだった。と言うような意味です。(写真は、鹿児島県、神奈川県のホームページ参照) 小林昭男