2021年09月01日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) ごいさぎは、武田神社でも見かけます。
ですから、鳥の中では 一番偉い鳥と 言うことになります。夢おろそかにしてはなりませんね。今度見かけたら、ゴイサギ殿と 敬語を使わなけれななりません。:追伸 ゴイサギの幼鳥は、親鳥と違い、茶色の羽に、白い星模様になっている。多分、雑草や木々にまみれて見にくく 保護色になっている様です。(別紙の写真は動物図鑑や、山梨の野鳥参照) 小林昭男
2021年08月25日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 春高楼の花の宴 滝廉太郎の誕生日です。
令和3・8・25日 ♬♬ 春高楼の花の宴 巡る杯、影さして
千代の松ヶ枝、分け井出でし昔の光、今いずこ♬♬
明治12年8月24日生まれ、わずか24歳でこの世を去りました、滝廉太郎の作曲 皆様ご存じの 荒城の月です。 ♬♬ 秋陣営の 霜の色 鳴きゆく雁の数見せて 植うる剣(つるぎ)に 照りそいし 昔の光今いずこ♬♬
故郷、大分県を 父親の転勤(大蔵省)東京に出て、芝、佐久間町で生まれました。その後富山県を経て 故郷の大分県に戻りました。
♬♬ いま荒城の夜半の月 変わらぬ光 他が為ぞ垣に残るは ただカズラ 松に歌うは ただ嵐♬♬
小学生のころ、富山城(場内の官舎にいた)3年後に かえった、故郷の大分県の岡城が 脳裏に焼き付いていて 荒城の月を作曲したと伝えられています。
作詞した土井晩翠は 仙台市青葉区で、裕福な商家に生まれ 父親も和歌の名手だったそうです。東京音楽学校(現東京芸術大学)時代に 荒城の月を 作詞していました。公募で、滝廉太郎が作曲し 中等唱歌に選ばれ、大ヒットしたそうです。
土井晩翠は、故郷、仙台の青葉城、福島県の鶴ヶ城を 散策しながら 荒城の月を作詞したそうですが 強者(つわもの)どもが戦の明け暮れ、最後に残った石垣の哀れさが、目に浮かびます。
♬♬ 天井影は変わらねど 栄枯は移る世の姿 写さんとてか 今もなお♬♬
今、日本中でコロナとの戦っていますが、早く殲滅する様、祈るばかりです。
2021年08月22日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 夏から秋えと季節は移っていきます。
令和3・8・21日 【風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりけり】 従二位藤原家隆 蝉の声から、虫の声に代わるこの季節、少し夏を 恋しがっている様子も うかがえます。(風そよぐ、なら)の、ならは ブナ科の落葉樹、ならの木の葉が 風に、さらさらと そよいでいる様子ですが この詩の、ならの小川は、京都北区の 上賀茂神社の【御手洗川】の ことを掛けて言っているそうです。平安時代の大切な行事 大みそかに行う 7月から12月までのお祓い(晦日祓)1月から6月までの 罪汚れを、厄払い(みなずき祓い) みそぎの夏は みなずき祓い【夏越祓いとも言う】を、詩っています。ですから、御手洗川の清流に 秋風を感じながら みなずき祓いを見て まだ夏なんだと思っている様子を 歌っていることになります。清流に、夏を感じ 楢の木の 葉のそよ風に 秋が近づいていることを 思わせる、素晴しい和歌だと思います。
作者の、従二位家隆の妻は、寂連法師の娘さんですので、法師の紹介で 藤原俊成の門下生になり、藤原定家と共に 後鳥羽院に認められ 新古今和歌集の選者にも なっています。
今から800年も前のナラの木のそよ風 どんな風だったんでしょうね、もしかしたら 私たちが感ずる 今のそよ風と 同じかもしれませんね。 小林昭男
2021年08月21日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 少し騒騒ぎすぎだとと思います
2021年08月10日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 心温まる話
2021年08月10日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) さそり座アンタレスを見ましょう
一般的にアンタレスは、赤い星と呼ばれていますが 時々通る火星も赤く、燃えているような色ですが 両者は、光を競っているようです。アンタレスの語源は ギリシャ語で、アンチ・アレース 火星と競争する、火星に対抗する という意味だそうです。赤さはアンタレスが勝っていますが、明るさは火星のほうが 断然明るいのです。特に雨上がりの夜 天の川の見えるところなら、南の地平線近くのさそり座、アンタレス 見てみましょう。9時ころには、木星も東方から 明るく 輝きながら登って来るはずです。 小林昭男
2021年08月05日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 宵の明星金星がきれいです。
連日体温以上の 猛暑が続いていますが、夕立のあとの空、澄んでいて綺麗です。
日没から 一時間くらいお間 西の空、低いところに鮮やかな 橙色の大きな星 宵の明星 金星が見えます。地球のすぐ内側の惑星ですので 太陽に近く、日の出前(秋から冬)今は 日没後にしか見えません。
金星は地球とほぼ同じ大きさ(地球の半径:6373Km 金星の半径:6052Km)ですが 厚い雲に覆われていて、地表は見えません。厚い周りの雲は 二酸化酸素で、内部は、濃硫酸の 雨が降っているそうです。厚い雲の重さで 気圧は、なんと90気圧 地球の90倍もの 高気圧です。海底に潜った場合は、900mの深さと同じで 地獄のような星です。又、二酸化酸素の 厚い雲があるため 温室効果により、地表は 470℃と高温で、鉛さえ 溶かしてしまいます。あんな綺麗なお星さまが 灼熱地獄で 硫酸の雨が降っている 想像を絶する 星ですね。どんなに化学や、宇宙工学が進んでも、やはり お星さまは遠くで見ているの 一番いいようです。 ♬♬ 夕星一つ、また一つ 君の瞳を思い出す♬♬ 松島アキラの歌でも歌いながら 晴れ日の夕方、西の空を見てみましょう。 橙色に輝いている 大きな星、金星が見えます。 小林昭男
2021年08月03日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 御誕生日を孫が企画
令和3・8・3 昭和42年お見合いで結婚した 清子さん(妻)の誕生日を、孫たちが お祝いしてくれました。夕方迎えに来て 車に乗りました。行先はまだわかりません。急な坂を上って、富士屋ホテルの手前、山梨市の 山の中腹にある、フルーツ公園の中にあるレストラン(ガイア)に着きました。
周りにはお花畑、ハーブ園などがあり 爽やかな 風の中にある レストランでした。マスク、消毒、アクリル衝立の仕切りなど 厳重な雰囲気でした。でも、レストランの窓からは、暮れ行く山々の稜線や 高台からの山梨市が、宝石をちりばめた様に 鮮やかな夜景が 眼下に広がっていました。
考えてみれば、あっという間の54年です。 どちらが忍耐したのか、我慢したのかは 議論の違うところですが、いろいろの戦いの中を 足りないところは補ったり、助け合ってこられたのも 最良に相棒だったかもしれません。
誕生日には、時々 奮発して、ルビーやエメラルドの指輪を プレゼントしたこともありますが 年金生活に入った今、清子さんから(無理しなくてもいいよ)と言われたので、今回は、印伝のお財布をプレゼントしました。
いつもなら、二人で焼き肉でも食べに行ったんですが、今年は孫の思わぬご招待 感動しました。一生忘れられない思い出を作ってくれました。志保ちゃん,涼君、有難う。感謝のいっぱいです。
2021年08月01日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 朝の散歩、学院大学構内
この地域は、昔から低く 濁川や、十朗川の反乱 平等川の増水で、沼地だったそうですが 相当の埋め立てをし 学院大学を建てたそうです。その後、河川の拡張工事 土手のかさ上げなどの整備をして 現在に至っています。この場所に住んでいた,コイ、などの魚類の慰霊も 慰霊碑として建立し、開発して犠牲になった 生物を祀ってあります。一つに拠点が出ると、マンション、アパート、住宅ができ、道路も整備され スーパーやコンビニ、レストランなどで 今はにぎわっています。小林昭男
2021年07月29日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 政治家と、オリンピック
令和3・7・29日 先日ユーチューブに有名な作家が こんなコメントをしていました。【モーニングショウで羽鳥さんたちは、オリンピック反対の 意見を言っていながら、オリンピックが始まった途端 メタルを取った選手をやたらほめている】と非難していました。
私は全く見解が違います。オリンピック開催、不開催は 政府の判断です。私も、コロナ感染上昇中の今、不開催の意見です。 だからと言って、政府が開催を決め アスリート達が、何十年も血の汗を流し 体を鍛え、練習に励み 最高のパホーマンスで 競技をしているのを見れば 感動するに決まっています。
五輪開催、運営と、選手たちのパホーマンスは、全然関係ないと私は思っています。せっかく開いたオリンピック 是非皆さん 家族と一緒にみて、素晴しい演技には 感動したいですね。
日本政府も、危険を冒して開催したオリンピック 安心、安全に競技ができるように、最善を尽くして頂きたいと切に思います。
特に、卓球や、体操で 日本が金メタルを取った後、某国からの中傷や、嫌がらせが(採点詐欺師、死ねなど)多数 来ているそうです。世界平和の祭典が、国の名誉や、政治に利用されることのほうが危険です。オリンピック憲章を誠実に守り、スポーツの大切さを 理解させるのも日本政府の 責務だと思います。 小林昭男
2021年07月24日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 幸せな時は どんな時
令和3・7・23日 資本主義経済が成功したのか、失敗したのか わかりませんが 世界には、億万長者は序の口 なん百兆者が現れました。そんな兆者の数十人が全世界の 半分の収入を握っているそうです。幸せでしょうね。 其れはさて置き、幸せって何でしょうね。幸せの起点は、年齢によって変わってくるのでしょうか。私は 二十歳に時、定時制の高校を4年かけて 卒業した時、幸せを感じました。4,50歳ころ、事務所や、自宅を新築し、仕事が順調に行き、幸せを感じました。60歳の時、不動産組合で仲間と一緒に、大きな仕事が出来、幸せを感じました。でも、そんな順調な時でも、心の底に いつも不安を感じていて、自分でも 何かわかりませんでした。朝起きれば 仕事の心配をし、子供たちの進路の心配をし、問題の解決に奔走し 身も心も疲れました。
メーテルリンクのルチル、ミチルが 夢の中で過去や未来の国に 幸せの象徴の 青い鳥を求めていくが 結局、自宅の鳥かごに 幸せの青い鳥がいたように 幸せは、案外、身の回りにあるのかもしれません。
島崎藤村が亡くなる少し前 大磯の自宅で 奥様と一緒に窓の外を眺め、【いい風だね】と言ったそうです。其れも 幸せなんでしょうね。
今、私は78歳になって 幸せの原点が おぼろげながら、わかってきたような気がします。お金も、地位も、煩悩からも離れ 利害関係のない、糟糠の妻と 健康で、日常生活ができる、これが幸せかもしれませんね。でも、老後の資金がもっと欲しい、なんて 煩悩のあるうちは、幸せではありません。(笑) 小林昭男
2021年07月23日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 夏休みになると、海に歌を思い出します。
令和3・7・23日 梅雨明け宣言がされ 本格的な夏がやってきました。海なし県 山梨は、子供が小さいころ 夏休みになりと 海に連れて行くのが恒例になっていました。静岡の海に出るまで、子供たちは車の中で歌っていました。
♬♬ 松原遠く 消ゆるところ 白帆(しらほ)のは浮かぶ 干網浜は高くして カ モメは低く 波に飛ぶ 見よ昼の海
明治44年から3年かけて 文部省が作成した(尋常小学校唱歌)の中の一曲です。明治時代の唱歌は、諸外国の 唱歌を翻訳した歌が主流でしたが この作成により、日本独特の 歌詞やメロディーになったそうです。 ♬♬ 島山波に しるきあたり 漁火(いさりび)光淡し 夜波 岸にかるくして 浦風軽く(かろく)砂(いさご)吹く 見よ 夜の海 (いさご)細かい石
富士山とともに、三保の松原が 世界遺産になりました。もう百年以上前の歌が、今でも 歌い継がれています。因みに 尋常小学校唱歌の中には 皆さんご存じかも知れませんが こんな歌があります。
はとぽっぽ:ポッポッポ はとぽっぽ豆がほしいかそらやるぞ。
カタツムリ:でんでん虫カタツムリ お前の頭はどこにある
月: 出た出た月が、まあるいまあるいまん丸い
池の鯉: 出てこい、出てこい池の鯉
あとは、忘れましたが、30曲くらいあるそうです。
今年も海の家は、コロナウイルス蔓延で 閉鎖されているようですね。早く家族ずれで 波打ち際で 遊べる日が来ると いいですね。
2021年07月22日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) オリンピックの開催の意義
『自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ。これこそが アスリートの義務であり、最も大切なことである』
今回のオリンピック、この日の丸が幾つ 上がるでしょうか。オリンピック当初は 1位、銀メダル 2位、銅メダル 3位、表彰状だったそうです。
2021年07月19日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 夏が来ると思い出す。
令和3・7・18日 梅雨が明けたとたん、燃えるような猛暑になりました。甲府市は盆地なので、蒸し風呂に入ったような嫌な暑さです。こんな時 思い出すのは、【夏の思い出】唱歌です。
♬ 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 水芭蕉の花が咲いている ・・・・・♬ 作曲したのは、作曲家中田喜直さんです。中田さんの前歴がすごいです。帝国陸軍、航空部隊、戦闘機操縦者 フィリピンや、スマトラで、活躍したそうです。
父上は、早春賦を作曲した、中田章 この歌があまりにも 流行したので、父上に敬意を払って、春の歌はやめて、夏の歌にしたそうです。
♬ 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 野の旅よ 花の中にそよそよと ゆれゆれる浮島よ 水芭蕉に花が匂ってる 夢見て匂ってる水のほとり まなこつぶれば懐かしい はるかな尾瀬 遠い空 ♬
作詞したのは、江間章子さん、昭和を代表する唱歌、作詞家で 特に 東京都、神奈川県、埼玉県の 学校の校歌を 作詞しています。東京都世田谷区の名誉区民に選定されています。平成17年92歳で亡くなりました。
詩は その季節を思い出し、そのメロディーを聞くと 何気なく歌っていた 子供のころを思い出し、一瞬でも 猛暑を忘れさせてくれます。 小林昭男
2021年07月16日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 冷戦ドイツの壁を崩壊させた日本人
令和3・7・16日 関東地方、甲信地方 梅雨が明けました。いよいよ夏本番に入ります。夏と言えば 花火でしょうね。花火と言えばこの人でしょう。冷戦ドイツの壁を崩壊させた、佐藤勲さんです。今は天国ですが、当時の西ベルリンの高官から ベルリン市750周年記念行事で 日本の花火を上げてほしいと 依頼がありした。打ち上げ花火は日本のお家芸 花火師、佐藤勲は、業界の中では神様的の存在 77歳だった佐藤さんは 社員や仲間を引き連れて ベルリンへ乗り込みました。ベルリン生誕750年周年は 国を挙げてのイベントです。大勢のドイツ人が見守る中、7000発の 日本の花火が揚がり、大盛況 80万人予想の観客は 200万人に ドイツ国民は、同じ花火を見て 心を一つにする、決意を強くしたそうです。打ち上げ前のインタビューで佐藤さんは、『日本の花火はどこから見ても同じです。西も東も 楽しんでください』と言い ベルリンの地上には 壁があるが 空には壁がないからね。と言い、注目を集めました。その2年後、ベルリンのあの大きな 厚い壁は、撤去されました・佐藤さんは 1996年、86歳で天国に召されたそうです。佐藤さん抱き続けた信念は【火薬は人を殺すものではなく、平和のために 使われるべきものだ】とも言っていたそうです。日本にも素晴しい人が たくさんいますね。 小林昭男
2021年07月15日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) ホトトギスは、この季節の季語です。
コメント
2021年07月11日 (投稿者: 株式会社フレンズ ) 本来は東日本大震災復旧五輪のはずです。
でもそこまで考えていないかも、日本人は馬鹿だから、どうせ、すぐ忘れるさ。は、は、は、は、は、なんて高笑いをしているかも。小林昭男